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日本には哲学が足りない!!

哲学科の者です。

私は、学問(特に哲学)が軽視されている日本社会の現状に不満を持っています。


「我日本古より今に至る迄哲学無し」
「哲学無き人民は、何事を為すも深遠の意無くして、浅薄を免れず」
「総ての病根此に在り」

100年ほど前、中江兆民がこう言いました。

日本に哲学無し。
この言葉、今の日本にも当て嵌まるのではないでしょうか?



例えば、私が「哲学専攻してます」と自己紹介すると、
「哲学??難しそうだねー」
といった反応をされ、それ以上話が膨らまないのがふつうです。
みんな、哲学なんて、あんまり興味ないのです。


今まで日本は実学を重視してきました。
豊か?に生活してこれたのもそのためかも知れません。

しかし、哲学(倫理学)をもっと重視する国だったら
企業にも、一般市民にも哲学が行き渡って、

原発事故はなかったかも知れない。
水俣病はなかったかも知れない。
労働法を守らない企業や、過労死も少かったかも知れない。

と思うんですが、気のせいでしょうか。


新卒一括採用は、学問を軽視し、また阻害するシステムです。
平日に選考があれば授業やゼミを休むことを余儀なくされ、
卒論を書き終える前に内定が出る(つまり卒論が評価されない)のです。
大学は合理的な企業的価値観で溢れています。
皆就活を意識しており、ゆっくり哲学するような場所ではなくなっています。

ここには
大学<企業社会
というこの国の価値観があるわけですが

少なくとも
大学=企業社会
という力関係がなくてはならないのではないか!


私の要求は、
・新卒採用枠を減らし、卒業後就活を一般的な選択肢とすること。
そして
・単位取得基準をもっと厳しくすること。

です。


引用元 『一年有半』中江兆民


by cbot
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まずは行動!!

!!!!!!とりあえず行動しろ!!!!!!















なんか難しいこと言ってそれは違うだの、もっとこうしろだの正直だるい。
もう十分すぎるほど考えたし議論した!
とりあえず、デモをやればいい。デモに来ればいい。
良くも悪くも世の中そんな簡単に変わらないし、
そんなにデモはおおごとじゃない。一回で成功しようとなんか思ってないぞ!!
失敗してはいけないものじゃないし!失敗したら方法を変え何回もやればいい!!
はやくデモやって失敗し!また次の方法考えたい!!



理系の考え方?なのかわからないけどこれが僕の主張です。
実験が上手くいく事なんて滅多にない。とりあえずやろう。
よい実験結果を生むには数をこなす事が重要!
難しく考えると苦しくなるだけです。失敗しても大丈夫です。
気楽に構えましょう。



工業大学 四年 電気専攻 オキュパイ

大学がシューカツ(有用性)にのまれていく!!!!

近年、教育行政の新自由主義化が進んで著しい。特に、大学におけるそれはあまりにも顕著である。本来大学という機関は、国家権力、もしくは資本の生産性からは完全に独立しているべきものである。歴史的に見れば、「教育機関」は、資本主義機械のうちにあるものとして設置されたと言い切れるだろう。しかし、当の大学自身はそうあることを拒否してきたし、事実その拒否は(様々な浸食があったとはいえ)ほぼ貫徹されてきた。今日ではどうだろうか。単純に制度の面を見てみれば、指摘するべき教育行政の変化は数多い。しかし、本ブログでは、現状の制度についてなどではなく、(制度―社会構造の生み出す)個人の意識の次元について論じたい。(近年特にというわけでもないが)教育と生産とを結びつける大きな流れがまずあって、そしてそれが、学生の意識の次元にまで影響を及ぼしてきているのである。
資本の生産性に取り込まれた存在である我々学生は、まずもって、すべての価値を「生産」に照らし合わせた上で行動を選択する。一例を挙げれば「単位さえ取れればなんだっていい」などという意識である。学生生活のすべてを「就職に有利か否か」という行動基準のみを持って処理してしまうのだ。「就職に有利である」と言われているゼミには応募が殺到し、そして就職活動の時期になれば、「企業からの要請」に従順な学生たちは、そのゼミを(良心の呵責もなく)休んでしまうのである。「勉強なんてどうでもいいけれども企業の説明会には必ず行かなければならない」という価値観である。生産の流れのうちにはないもの(つまり学業)に対しては重きを置かないが、社会(資本の流れ)に対しては非常に従順な態度を持って、相対していく・・・(我々)学生は(資本の論理から見て)「無駄」なことは一切しないのである。
つまり、「意識」や「道徳」の次元にまでそのような企業的な価値が入り込んできているのだ。資本からは完全に切り離された「大学」というスペースに生きる我々のうちにまで・・・。

学生は企業に入るまでの「過程」として大学を選びとる。しかし、一旦入学してしまえば、一瞬間、資本の生産性 からは切り離されることになるという構図があった。いまではその効果が薄れつつある。大学の中に入ってなお「この行動は就職に有利か否か」という判断を迫られる割合が増えているのである。(暴力的なまとめ方ではあるが)大学というものは、徹底的に非生産的なものの象徴としてあるべきである。徹底的に資本から切り離された空間、つまり「蕩尽」をよしとする空間としてあるべきである。
有用性が重視される我々の社会の中にあって大学とは、まったく「無駄」なものの象徴としてーつまり、端的に言えば「精神を沸騰させる何か」をつかみ取る場としてのみあるべきである。バタイユは「世界はパロディ的である」と言っている。しかし有用性が極限まで重視されるこの社会にあっては、精神に作用するパロディが、つまりパロディたる事物を充満させるに足りる空間が、全く足りていないものである。「精神を満たす(当然それは、普遍経済的な意味で)」という目的を履行するに当たって、「生産」という価値は「敵」である。であるからして、我々は、生産からは切り離された空間(エリア)として、大学を置かなければならないのである。
私は、資本主義を「悪」であるなどと論じるつもりはない。私の論ずる内容は、非常に逆説的なものであり、資本主義というシステムが存在していなければ成り立つものではないとも言えるだろう。しかし、そのようなパラドキシカルな部分を把握していただいた上で、まとめに入らせていただくとしよう。
つまり私は、「詰らない価値観を再生産するシステム」の象徴として資本主義をとらえたい(我々にとって、まさしく(パロディ的に)精神に作用する行為というものは(資本の生産性からは逸脱した意味での)「消費」「蕩尽」でしかない)のである。「詰らない」という表現はあまり学問的なものとはいえないかもしれない。しかし、それ以外に適切な表現があるだろうか。まず資本主義=有用性を重視する社会があって、それに対して、そことは別の部分で、我々は「蕩尽」を行うべきなのである。
我々は、大学で、壮大な「無駄」を学んでいる。これは、「有用性との敵対」を突き進めていく上で、おおいに肯定されるべき行為である(当然、無駄を求めている時点でそこには逆説的に有用性が存在しているということになるのではないか、という議論もあるだろう。しかし、それは正解であって正解ではない。つまり私は、資本主義的な論調において「無駄」を求めるのではなく、まさしく「普遍的な」意味において「無駄」を求めるべきだと思うのである)。大学という空間の「無意味性」は、まさしく普遍経済学的な観点から、肯定されるべきなのである。
さて、ここで「有用性」に浸食されはじめている大学の現状を嘆き、具体的な改革方法を提示することもできるだろう(就職活動の早期化を議会を通じて社民主義的に改良するなど)。しかし、本質的には、我々が感じ取る「普遍経済的な意味における沸騰」というものは、そのような「改革」の成果として得られるものではない。我々がまずもって目を向けるべき沸騰は、「社会という有用性を最重視する空間に対して、非生産的エリアにいる学生たちが、非生産的に立ち上がっている」という事実だけなのである。学生諸君、「壮大に無駄なエリア」である大学を、資本の手から守り抜こうではないか!!!!

文責:ポトラッチマン 


参考
ウェーバー・プロ倫
バタイユ各書

うおおおおおおおおおおおおお!!!!!!

「ふと周りを見てみると

自分を信じて生きてる奴ら

信じるのはいいが それをいちいち人に

語る事によって確認してる


結局何も信じてないやないか

オラぁいちぬけた!」

―――ガガガSP「オラァいちぬけた」




ポンポンポンポポポポンポン♪
愚民のみなさんこんにちは!愚民の白石くんです!(^^)!


なんかさ、実行委員のみんなが、毎日毎日難しい政治の議論をしていて着いていけないよね。
なにが、ぽすとふぉーでぃずむだよ。なにが、キンダイ経済学だよ。
俺が読みたいのはキンゼイ報告なんだよ!!!


・・・ボクはどうしてデモ実に関わっているのか、たまに本気でよくわからなくなる。
政治のことや、社会構造については全然わからない(デモをやる学生は馬鹿だ!!!とか騒ぎ立ててるタイプの学生たちと同レベルの知識)。

けれども、ビビっとくるポイントがきっちりとあるから、居続けているんだよね。


デモ実には、まじめな人(9割ぐらい?)もいれば、ホワホワしているやつもいる。保守の人もいれば、左っぽい人もいる。リア充もいれば、リア充じゃないやつもいる。単純に、そういう集団に、魅力を感じたよね。
彼らは、同じことをロボットみたいに喋っては、少しの意見の違いを持って「組織から出ていけ!!!」みたいなことをやる人たちとは全然違う。それから、「お前はデモに対するストイックさが足りない!!」などとキレ始める、企業道徳に侵されているタイプのやつがいない。そういう集団に、素晴らしさを感じたよね。





日本の学生は、どいつもこいつも、謎の奴隷道徳にしがみついているやつばっかり(>_<)
でも、しがみつききれていないから、僕たちを叩くことによって自らの立ち位置を再確認し続けなければ気が済まない。

日本以外の先進国の大学生たちはみんな暴れてて、うらやましくなっちゃうよね(>_<)


まあ、とにかく、俺たちもむかついたら暴れるんだよ(>_<)!!!




うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお、おらぁいちぬけた!!!!!!!!!!!!!!!!!!









明治学院大学3年 白石

檄文(すずきおるず)

 就活ぶっこわせデモに関するツイートやこのブログに寄せられたコメントを見ていて、気になる点が一つある。
 「雇うのは企業なのだから、雇われる側は企業に従うのが当然」というような意見が、複数見受けられることだ。

 少し、経済学の話をしたい。
 労働価値説という学説がある。読んで字のごとく、労働が価値を生み出す、商品の価格はその商品に投下された労働量によって決まるという説だ。あるいは、商品の価値を決めるのはその商品の作り手だとする考え方とも言える。アダム・スミスやリカードやマルクスなどのいわゆる古典派経済学者が奉じたこの説ではしかし、説明できない事象が多すぎた。例えば、労働価値説によれば賃金の増減は物価に影響を及ぼさない。商品に投下された労働量は変わらないからだ。しかし、実際には賃金の増加は物価の上昇を招く(インフレ)し、賃金の減少は物価の下落を招く(デフレ)。労働価値説ではこういったことを説明できなかった。
 これに代わって、近代経済学と呼ばれる学派が主流になった。近代経済学では、労働はもはや価値を生み出さない。商品の価格は、消費者がその商品から得られる効用によって決定される。労働価値説が「商品の価値はその作り手が決める」という説であれば、近代経済学は「商品の価値はその買い手が決める」という考えだとまとめられるだろう。近代経済学は、労働価値説では説明できなかったことの多くを説明できた。その結果、現在に至るまで経済学の主流はいわゆる近代経済学が占めている。
 さて、読者の皆様は、労働価値説と近代経済学のどちらに共感されるだろうか。商品の価値を決めるのは、その作り手か、その買い手か、どちらだろうか。

 就活において、人間は商品になる。
 就活に臨む学生たちは、いかに企業に採用してもらえるかを考える。企業の望む人材になれるように勉強をし経験を積み、企業に気に入られるようにメイクし服装を整え、企業でやっていけるように協調性やチームワークを磨く。企業という買い手の効用がより大きくなるように、自分という商品を作り上げていく。ここにおいては、買い手の論理、近代経済学的な論理が貫徹している。
 別に、人間が商品となることを一概に批判するつもりはない。労働に対価が与えられる以上、労働は商品という一面を持つ。このこと自体には良いも悪いもない。また、いわゆる要領の良い学生は、就活や労働においては人間は商品だと割り切って行動し、それ以外の趣味などの分野で自己を充足させるだろう。私の父がこの考え方に近い。あるいは、労働において商品として生きることに自己を見いだす人もいるだろう。例えば、高度経済成長期のモーレツ社員などはここに分類できる。こういった、現行制度の下で幸せに生きることのできる人々を批判するつもりは毛頭ない。幸せであれば、それがなによりだ。
 しかし、現行制度の下で息苦しさを感じる人間も、一方でいる。就活や労働においては人間は商品だと割り切ろうとしても、どうしても割り切ることのできない人間はいる。あるいは、割り切ったとしても労働に追われて余暇が無く、自分を充足させることのできない人間はいる。買い手が商品の価値を決めてしまうことに、抵抗を覚える人間はいる。
 そういった人間は、どうすればよいのだ。

 先に、労働価値説と近代経済学の話をした。
 現代において、近代経済学的な考え方、すなわち商品の価値は買い手が決めるという考え方は、経済学の範囲を超えて、広く世間一般に流通している。冒頭に挙げた「雇われる側は雇う側に従うのが当然」という発想も、極めて近代経済学的だ。
 さて、近代経済学と労働価値説、どちらが正しいのだろうか。
 結論から言えば、どちらも正しくないのだろう。もちろん、近代経済学の方がより多くの事象を説明できるという事実はある。しかし、このことは近代経済学こそが絶対の真理であり、従うべき規範であるということを意味しない。
 学問は、現実をより上手く描き出し、より納得の行く説明をするために存在する。まず現実があり、その上に学問が存在するのだ。現実が学問に従うわけでは、決して無い。

 商品であること、商品と見られることに、抵抗を覚える人々よ。
 「商品の価値は買い手が決める」というのは、単に学問上の見解であって、絶対的な規範ではない。
 それに代わる何かを、現実において創り出していくことは、可能だ。

すずきおるず
@suzukiorz on Twitter
プロフィール

「就活ぶっこわせデモ」実行委員会 (就活デモ@東京)

Author:「就活ぶっこわせデモ」実行委員会 (就活デモ@東京)
 こちらは2011年「就活ぶっこわせデモ」のブログです。私たちは2011年11月23日(水・祝)、勤労感謝の日に「就活ぶっこわせデモ」を実施致しました。当日はたくさんの方々にご参加頂き誠にありがとうございました。実行委員一同より厚く御礼申し上げます。
 このデモを通じてより多くの方々に就活を巡る問題について考え議論する機会、あるいは就活に疑問を持つ方々が改めて自分の意見を主張する場を提供できたのであれば、それだけでもこのデモを行った価値はあったものと私たち実行委員は考えております。

 さて、2011年市井の皆様を度々お騒がせしてきた「就活ぶっこわせデモ」ですが、2012年1月18日の対談イベントを最後の活動とし、我々就活ぶっこわせデモ実行委員はひとまず解散致します。ご協力下さった関係者各位の皆様方には、この場を借りて厚くお礼申しあげます。本当にありがとうございました。
 今後就活問題に関する活動は「就活生組合」がその任を担っていく予定でございます。よって今後の活動ついてのご質問、及び取材依頼等のお問い合わせは、「就活生組合」方にお願い致します。


就活生組合

http://www.shukatsu-union.org/

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