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デモの模様

昨日(11月23日)のデモの様子です。

saiデモ模様
13時頃から街頭にてアピール

再デモ模様
ビックカメラ前に移動して出発

再デモ模様
新宿を練り歩く
再デモ模様

再デモ模様

再デモ模様
アルタ前の広場にて終了の挨拶

皆さまお疲れ様でした。

東洋鍋子
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「就活ぶっこわせデモ」開催しました!

こんにちは、就活ぶっこわせデモ実行委員会です。

予定通り、昨日11月23日(祝・水)の勤労感謝の日に「就活ぶっこわせデモ」を東京、新宿で開催いたしました。連携した京都、横浜の方も無事終了したようです。足を運んでいただいた方、応援してくれた方、遠くから温かく見守ってくれた方、本当にありがとうございました!おかげさまで、デモの方も無事終了しました。実行委員一同感謝いたします。

昨日のデモには大学生を中心に100人以上方々が参加してくれました!

就活デモ2011


また、当日はUstream配信やニコニコ生放送による配信も行い、Ustreamでは生中継で1209の視聴数があり、録画の三つの動画では、三つ合わせて、現時点(24日14時)で6000回の再生数に達しています!ニコニコ動画では記録映像の再生数がなんと27000回を上回っています!

<Ustream録画>
就活ぶっこわせデモ@東京中継 アピール部分
http://www.ustream.tv/recorded/18693291

就活ぶっこわせデモ@東京中継 デモ行進①
http://www.ustream.tv/recorded/18693719

就活ぶっこわせデモ@東京中継 デモ行進②
http://www.ustream.tv/recorded/18694552

<ニコニコ動画記録>
東京・新宿で行われた「就活ぶっこわせデモ」
http://www.nicovideo.jp/watch/1322036485

さらに、メディアにも取り上げられ、すでにネット上などを中心に論議を呼んでいます。

<朝日ドットコム>
「就活長い」「卒論書かせろ」 大学生ら100人がデモ
http://www.asahi.com/national/update/1123/TKY201111230310.html

<ニコニコニュース>
「大学は就活予備校じゃない」 学生らが"就活ぶっこわせデモ"
http://news.nicovideo.jp/watch/nw150842?marquee

<J-CASTニュース>
大学生らの「就活ぶっこわせデモ」が論議に
http://www.j-cast.com/2011/11/24114049.html


ネットなどでは今、様々な意見が飛び交っているようです。私たちの目的としてまずは自分たちの存在を示し、問題を問題として認識してもらいたいということがありました。したがって、これだけ論議を巻き起こしたこと自体が一つの成果だったように思います。

私たちが「就活ぶっこわせ」と言うとき、そこにはいくつかの次元があるように思います。一つには、既存の就活システムの制度的な異常性の問題であり、その異常性を「ぶっこわす」という意味で、制度的な改善を要求するという次元があります。他方、「就活」があまりに企業や教育機関の側に主導権を奪われている現状の中、学生を始めとする、就活生の側から「就活」を自らの手に取り戻していく、いわば「対抗・就活」的な次元があります。さらに、「就活」という与えられたレールだけでなく、何らかの仕事を志す者が、自らの手で仕事を切り開いていくという、「脱・就活」の次元があると思います。

「就活」という一つの概念が、大学生、高校生、既卒者、就活生を抱える親御さんといった様々な社会的な層の生活や考え方の中に侵食しています。要するに、この「就活」という概念を「ぶっこわ」さなければならないのではないでしょうか?

「就活」から見えてくるのは、この社会全体における、生き方、働き方といった問題です。これをただの「学生の愚痴だ」とか「自己責任だ」という無責任な言葉で片付けて欲しくはありません。もちろん、簡単な答えなどないでしょう。しかし、だからといって私たちは考え続けるのをやめたくありません。この「就活ぶっこわせデモ」を契機に、多くの人が、「就活」の問題に、ひいては社会の問題、一人一人の生き方の問題と真剣に向き合い、共に論議し、行動していくことを願います。

私たち「就活ぶっこわせデモ」実行委員会も社会の問題と自分自身の問題に向き合いながら、行動し続けていきたいと思います。そこで発表なのですが、就活生を中心として、生き方、働き方等を考えることができるプラットフォームとなる場をこれから作っていきたいと思います。現在、実行委員の中の一部有志で「就活生組合(仮)」なるもの(名称はまだ全くの仮)を構想中です。どうなるかはわかりませんが、みなさんどうぞよろしくお願いします。

最後にいいたいのは、「デモをやっても何も変わらない」「デモをやって、もっと制度が悪くなるかもしれない」という意見がありますが、すでに議論が起こっている時点で変化の兆しが見えているということです。そしてもし、制度がまた悪くなっていくようであれば、そのときは再びデモをやろうではありませんか。


何度でも叫び続けましょう。


就活ぶっこわせ!と。


「就活ぶっこわせデモ」実行委員会




※今後も随時ブログやTwitterを更新していきます。お問い合わせは公式アドレス bukkowasedemo@gmail.com までよろしくお願いします。

就活ぶっこわせデモ、Ustreamにてライブ中継!!!!!

本日の就活ぶっこわせデモはUstreamにて生中継を予定しております。

本日デモに参加頂けない方も、ぜひこちらでデモの様子をご覧頂けたらと思います。


放送開始は本日(23日)、13:30からを予定しております。


「就活ぶっこわせデモ@東京中継」
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

http://www.ustream.tv/channel/%E5%B0%B1%E6%B4%BB%E3%81%B6%E3%81%A3%E3%81%93%E3%82%8F%E3%81%9B%E3%83%87%E3%83%A2-%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E4%B8%AD%E7%B6%99

【本日!】就活ぶっこわせデモ開催のお知らせ

こんにちは。

就活ぶっこわせ実行委員長の小沼 克之です。ついにやってまいりました!本日就活ぶっこわせデモです!

デモの詳細を、お知らせ致します。

【日時】11月23日(水・祝) 勤労感謝の日
 集合 13時30分/出発 14時00分

※出発前挨拶・デモの諸注意等があります。13時30分には挨拶を始めますので、時間に余裕を持って来ていただければと思います。実行委員は昼過ぎにはアルタ前で待機している予定です。

【集合場所】新宿アルタ前広場 
※JR新宿駅 東口出口より徒歩1分

新宿東口・アルタ前広場

新宿アルタ前広場

新宿駅周辺の地図⇒http://maps.loco.yahoo.co.jp/maps?type=scroll&lat=35.69204948556791&lon=139.7013851992241&mode=map&z=19

※当日は目立つように横断幕やプラカードを持っています。また、実行委員は腕章をつけていますので、不明点があれば遠慮なく聞いて下さい。

【コース】アルタ前~東口繁華街~靖国通り~大ガード~西口駅前~南口駅前~東口繁華街~アルタ前(1時間10分ほどの距離)
※すでに警察には申請済みです。

【主催】就活ぶっこわせデモ実行委員会

‹注意事項›

1)当日は冷え込む事が予想されますので、防寒着など温かい格好でお越しください。

2)各団体の幟や旗及び趣旨にふさわしくないプラカードや服装・言動はお断りとさせていただきます。アピールのための、リクルート・スーツやコスプレなどは歓迎です。また、「就活」の現状に抗議するプラカードの持ち込みもOKです。

3)記録撮影及びライブ中継を予定しています。服装は自由ですが、顔を写されたくない方はマスクなどのご用意をお願いします。

4)デモは途中参加・途中抜け可能です。場所などがわからなければ、Twitter(@syukatsu_tokyo)か公式アドレス(bukkowasedemo@gmail.com)までご連絡下さい。なお、Twitterの方が、情報が速いかと思われます。

5)今回のデモでは、政治団体等による、団体としてのご参加はお断りしております。個人としてご参加いただければと思います。

6)実行委員は学生を中心に運営しておりますが、デモには学生以外の方もぜひお越し下さい。また、今回のデモでは、デモ初参加者も多いかと思われますので、参加者の皆さんはお互い配慮し合いながら、心地よいデモにしましょう。問題などがありましたら、実行委員までお申し出下さい。

7)街頭に出ればそこはデモのアピール空間です。普段あまりしゃべらないという方でも、思いっきり叫べます。初めての方は緊張したり、しゃべれないことに不安になったりするかもしれませんが、安心してデモに参加して下さい。デモの隊列の後方部分はゆったりと歩けるスペースを作る予定です。

ブログ
http://hosyukakumei.blog.fc2.com/
ツイッター
http://twitter.com/#!/syukatsu_tokyo
実行委員会メールアドレス
bukkowasedemo@gmail.com

デモに予約は不要ですので、時間のある方はぜひふらっとお越し下さい。お一人での参加でも、友達と一緒での参加でも、大歓迎です。何かわからないことがあれば実行委員までお問い合わせ下さい。沢山のご参加お待ちしております。


投稿⑨

賛同メッセージまだまだいただいています。フルタイムワーカーの高橋さんよりご投稿いただきました!

【お名前】
 高橋 佑太

【肩書き・ご職業・所属等】
 フルタイムワーカー(22)

【Twitter名】
 89yuta

【「ここが変だよ、日本の就活」】
  はじめに、僕自身は恥ずかしながら大学生ではない。高卒である。それに就活の経験がない。だから就活の何が変で何が問題なのかは正直なところ分からない。

しかしながら、多くの大学生あるいは今や高校生までもが「就活」という得体の知れないものの前で狼狽し、そこで自己の存在や自己の価値をも否定せざるを得ない現状は何とも嘆かわしい。それに今では親も子の「就活」に躍起になっている有り様だ。これはどう考えても異常という他ない。

 言うまでもなく人生は就活のためにあるのではない。それに就活をするために大学生になったわけでもあるまい。けれど、「大学を出たらすぐ企業に就職し、苦労をかけた親やお世話になった人たちを喜ばせなければならない」という意味なき強迫観念に迫られ大学生活よりも就活のほうに心血を注ぐ学生。そういった現状を今度の“就活デモ”では『ぶっこわして』ほしい。
 それに、就活の前で思考停止し、そこに何の問題意識も持たない大学生、高校生の考えも『ぶっこわして』ほしい。

 日本人はあらかじめ定められたレールの上を歩く人生が正しい人生だと教えられてきた。悲しいかな、レールの外に一歩でも出ると非難され、そこからカムバックするのが極めて困難なのがこの社会だ。そんな社会の仕組みが11月23日のデモを通して少しでも『ぶっこわれた』時、我々はより豊かな人生と、より良い社会を手に入れられるのだと信じてやまない。

【賛同メッセージ】
  ゆとり世代と言われる今の若者をネガティブに形容する言葉はいくらでも見つけられる。「草食系」「内向き志向」「リスクをとらない」などなど。
 だが、今回の就活デモである方の言葉を借りれば「若者だって怒ってるんだコノヤロー!」という事が分かってもらえると思う。つまり今の若者だって社会に批判精神を持って生きているという事を。
 また、インターネットを主な言論拠点としているゆとり世代が原始的な「デモ」という誰にでも見える表現手段でより多くの人に「我々の怒りを伝えるんだ!」と訴えかけている点に僕は強く賛同したい。

 「就活ぶっこわせデモ」実行委員の皆さんへ
当日僕は仕事のためデモには参加出来ませんが、どうか皆さんの運動が、この国の固定観念をぶっこわし、社会をほんの少しでも動かすきっかけになりますよう心より願っています。それはゆとり世代、ひいては社会の利益とも言えます。

 2011年11月23日勤労感謝の日、新宿(就活ぶっこわせデモ)・横浜(ブラック企業撲滅デモ)・京都(カルト就活やめなはれデモ)から若者の怒りをが社会に放出されたとき、この社会が少しでも良い方向に向かいますことを信じております。

陰ながら応援しております。


投稿ありがとうございました!(実行委員会)熱いメッセージに勇気づけられます!

※「ここが変だよ、日本の就活」&「就活ぶっこわせデモ」賛同メッセージは下記のフォームから募集中です。
↓↓
「ここが変だよ、日本の就活」&「就活ぶっこわせデモ」賛同メッセージ・送信フォーム


投稿⑧

なんとあの東京大学大学院教育学研究科教授の本田由紀先生から賛同メッセージを頂きました。

本田由紀先生本当にありがとうございます。 


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 現代社会において、すべての人間は、考えや意思を表明する自由を手にしています。デモはそのような手段の一つです。ですから、自分がおかしいと思うことについて、同じように考える人たちと一緒に、おかしいという声をあげることは、まったく正当な行動ですから、自信をもって実行していただきたいと思います。
 
 ただ、できるならば、そうした声をあげることが、できるだけ実質的な問題の是正につながるように、試みていただきたいと思います。現状の問題点や改善の方向を、デモに参加せず外から見ている人たちにもわかりやすい形で提示することや、より広い範囲の人々からも賛同してもらえるような観点で取り組むことが、おそらく有効だと思います。

 たとえば、今回の「就活」というテーマであれば、それが大学生だけでなく、他の教育機関の在学者や既卒者にも及ぶ問題であり、企業にとっても合理性や効率性を欠いたものであり、社会全体にとって弊害が大きい、という捉え方や主張をしてもらえることを願います。
 
 日本の人々は、これまでの数十年にわたり、デモなどの表現手段に訴えて意見を主張する経験をほとんど欠いてきました。今それがやや変化しつつありますが、私はまだ、この社会の人々にとって、自由に、かつ明確に意見を述べるということの「練習中」なのだと思っています。ですから、どんどんやればいい、やらなくてはならない。人々が行動して経験を積まなければ、進展もないからです。
 
 ただ、言うまでもなく、どれほど工夫や努力をしたとしても、デモで声をあげれば社会がすぐに変わるわけではありません。社会は大きく、鈍重だからです。ですから、このデモがどんな形で終ろうとも、その「先」をさらに見据えていていただきたいのです。別の言い方をすれば、仮にデモが「失敗」したとしても、がっかりなどしなくていい。それに取り組んだこと自体がすばらしいのであり、これが始まりなのです。
 
 このように考えるからこそ私は、就活デモを実現しようとしているみなさんに、心から敬意を表し、応援したいと思っています。  本田由紀



【プロフィール】ほんだ・ゆき ●1964年生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。教育学博士。2001年東京大学社会科学研究所助教授、2003 年~2005年東京大学大学院情報学環助教授(併任)を経て、2008年から東京大学大学院教育学研究科比較教育社会学コース教授。主な編共著に『学力の社会学――調査が示す学力の変化と学習の課題』(岩波書店)『大学就職の社会学――データから見る変化』(東京大学出版会)など。著書に『若者と仕事―― 「学校経由」の就職を超えて』(東京大学出版会)『教育の職業的意義――若者、学校、社会をつなぐ』(ちくま新書)など。

投稿⑦

大学生の方から熱いメッセージが届きました!デモにも参加してくれるという。これはうれしい!11月23日は新宿に13時半に集合だよ!以下メッセージをご紹介します!


【「ここが変だよ、日本の就活」】
 就活でまず何が問題なのか。一つは、企業の新卒一括採用という偏重主義である。これがなにより、学生が大学での学習時間と、自身の金銭的費用(すなわち生活費、学費)ともに削られる、要因である。この新卒一括採用は、いまはもう有名無実化した、「年功序列」制度に基づいている。年功序列制度においては、企業は収益を上げ続けることが求められる。これがかつて日本を「一億総中流」と言わしめた、理由の一つである。やがて、これは1990年代のバブル崩壊という形で、経営者はツケを払わされることとなった。バブルに浮かれ、年功序列の下に大量に採用した社員が、大きな負担となった。労働組合は猛烈に、既存の社員の権利の確保を求め続けた。そこで、日経連は1995年に「新時代の『日本的経営』」という報告書を提出。この報告書では、労働者は「長期蓄積能力活用型」、「高度専門能力活用型」、「雇用柔軟型」に分類されていた。この報告書の要点は、この「雇用柔軟型」であり、これはあらゆる景気に対応できる、低賃金で使い捨てる単純労働者と区分されている。そして1999年、この報告書の下、労働者派遣法の改正により、労働者派遣は原則自由化。多くの若者が非正規雇用に分けられることとなった。新入りの正社員は極僅かしか採用されず、かつその賃金もまた、非正規雇用との大差は僅かなものだった。
この既存労働者の既得権は、他にも労基法の整理解雇の手続きの猥雑さが要因ともなっている。
年功序列が無実化したということで、今度は「実力主義」を唱える企業が増えてきた。しかしこれもまた、年功序列のうち、功の部分を強調したものに過ぎなかった。例えば、40代の課長になるまではずっと下働きの単純労働であり、また35歳で給与が頭打ちになる。そういう類のものである。結局、既得権層の既得権のために、それよりも下の層は、搾取されつづけるということである。 現在のマスメディア、マスコミの若者に対する風潮は、90年代のバブル崩壊直後の不況時に始まる。当時はバブルの崩壊により、人々は不満と不安の中で生き続けた。そんなあるとき、1997年に「酒鬼薔薇聖斗」を名乗る男子中学生による児童殺傷事件や、98年に栃木県で男子中学生が女性教師を殺害するという、少年犯罪事件が発生した。これはメディアに急激に注目されることになり、最近の若者はキレやすいとか、若者をモンスター化する風潮が出始めた。しかし少年犯罪データベースによれば、少年による凶悪犯罪は戦後から年々減り続けている。不況下での不満や不安を、若者をスケープゴートとすることで、ガス抜きをしていたのである。その後も、最近の若者は就労意欲が乏しいだとか、ゆとり世代の社会人だとか、これら「俗流若者論」が、幅を利かせ続けているのである。酒の席での与太話が平気でメディアに出される。そこにはなんら、根拠となるデータも資料も、掲示されることがない。これを展開し、加速させたのは、主に中高年の既得権益層と、団塊世代に代表される高齢者である。
彼らは我々に一方的につけを回してくる。吐き気がする精神論や「若いんだから苦労しろ」などといった若者論を押し付けてきながら。当然そこには、「もうバブルで十分贅沢したんだから引退しろ!少しはそっちの取り分こちらに還元しろ!」というロジックは通用しない。

参考文献
マンガ「若者奴隷時代~若肉老食社会の到来」山野車輪 晋遊舎ムック(2010年)
「若者はなぜ3年で辞めるのか~年功序列が奪う日本の未来~」城繁幸 光文社新書(2006年)
「7割は課長にさせなれません~終身雇用の幻想~」城繁幸 PHP新書(2010年)


【賛同メッセージ】
 と、いうわけで、長々と説明させていただきました。私、最近になって、就活とか就職とかの関係で、なにかデモとかに参加して、あらん限りに訴えたい!!と思っていました!!そこで、このサイトを見つけることが出来て、本当に良かったです!
私は、最近の、この就活というものについて、違和感と疑念を感じていたところです。就職氷河期は改善の兆候現れません。その一方で学生は就活に追われまくり、大学での学習時間と生活費を削りつづける羽目になっています。そしてなにより問題なのは、そのような現状を無視、もしくは例の「俗流若者論」で、「甘え」だのなんだのと身勝手に決め付ける、社会の風潮だと思います。内定を取った友人を持つ、私の同期のサークルメンバーによれば、「選ばなきゃ内定取れる」と言われているそうです。若者は、ますます搾取されつづけているのではないか。果たして、これに我々が従うことが、果たして正しいのか。まるでなにかが、我々を、追い込もうとしている。その方向へ、連れ出そうとしている。そのなにかは、ただただ、自分たちの利益のために。我々には彼らに抗う手段も許されず、また、知性も許されない。そのようななにかが。いる。
私は、いかなる就活マニュアルや、その関連本等を、読むつもりはありません。それよりも数百倍、役に立つ本が、あるからです。そのいくつかを、上記の参考文献に挙げました。これが、実行委員会様の一助となれたら、幸いです(別に著者でもないくせになに言っているんだか)。
そんなわけで、実行委員会様、応援しております!
11/23のデモには、ぜひ参加しとうございます!!

雨宮 一正(大学生)




投稿ありがとうございました!(実行委員会)熱いメッセージに勇気づけられます!当日お待ちしております!

※「ここが変だよ、日本の就活」&「就活ぶっこわせデモ」賛同メッセージは下記のフォームから募集中です。
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ビラ!

「就活ぶっこわせデモ」のビラをアップします!ご自由にお使い下さい。何かありましたら公式アドレス bukkowasedemo@gmail.com まで、お問い合わせ下さい。

※このビラの画像を無断転載するのを禁止することを禁止する。


yose

situmonn

ぶっこわし

爆発ビラ


なお、PDF版のビラが必要な方は bukkowasedemo@gmail.com までお問い合わせ下さい。そちらからお送りします(ブログにはアップできないため)。

投稿⑥(賛同メッセージ)

石井秀数さんから賛同メッセージをいただきました!

【お名前】
 石井 秀数

【肩書き・ご職業・所属等】
 無職

【Twitter名】

 ishii_hidekazu


【賛同メッセージ】
  多くの誹謗中傷がよせられているようですが、気にせず頑張りましょう。面と向かって同じセリフを吐く勇気などこれっぽっちも無い者たちの声を聴く必要は、ありません。

現代の社会で当たり前に行われていること、たとえば、食べたい物を食べて、住みたいところに住んで、男性も女性も隔てなく学校に通い、読みたい本を読み、聴きたい音楽を聴き・・・といった多くのことが、我々の生活を構成する多くのことが、時代により場所によっては“許されないこと・我儘な甘え・反社会的なこと”だったのです。そうした抑圧を打ち破り現在の自由を築いてきた人々がいることを、忘れてはなりません。そうした人々が場合によっては一命を賭して、反対勢力の卑劣な振る舞いに屈せず、現在の諸権利を築いてきたのです。
 現状に反対する人々は常に、「バカでふざけたわがままな連中」だったのです。「反対」を始めたその時点では。そして、その後の永い時を経て、正義を実現する礎だったと皆が気づくのです。

現在の日本の“就活”のどこが正しくどこが間違っているか、ひいてはこの社会のどこが正しくどこが間違っているか、それはわかりません。しかし、たった一人でも、誰か一人でも「おかしい、ひどい、辛い」と感じる人がいるなら、その不満を表明し、現状にNOを突きつける必要があることは間違いありません。この社会においては、誰一人として、辛くひどい状況に置かれてはならないからです。そして不満を表明してみんなの関心を集め力を集めて、問題の分析と解決に取り組めばよいのです。

 デモ実行委の皆さんの、正義と勇気を心から称えます。あとは当日に向け、一人でも多くの人にデモの情報を届けましょう。

 十年後の日本を、百年後の社会を、より良いものとするために。




投稿ありがとうございました!(実行委員会)熱いメッセージに勇気づけられます!

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投稿⑤(「ここが変だよ、日本の就活」&賛同メッセージ)

美術系大学生の方から投稿いただきました!ご紹介します!


【「ここが変だよ、日本の就活」】
 就活関連の出来事が三年の冬から徐々に始まり、私は今年の三月からはじめ、夏休み直前から本当に就活して意味があるのか悩んだ挙げ句一度休止したものの、親の「お願いだから就職してね」の言葉で再開しました。

両親が心配するのも仕方ありません。安心させてあげたい気持ちもあります。恩返ししたいって思いますから。
それでも正直、何故大学生活の中で就職活動をしなければならないのか分かりません。私は制作の邪魔としか考えられません。時間も費用もとられる。
四年間の学業を終えて、力をつけて、自分が納得のいく自分で卒業してはじめて、就活というものをしたいです。
四年の間に本当に自分がしたいことを明確にみつけることが果たしてできるのか。それは人それぞれのペースがあると思います。私は四年の夏休みを終えて、やっと見えてきたような段階でした。

どうして新卒者しか採らないのでしょうか。
新卒に何の意味が、価値があるのでしょうか。
人をみるのではないのですか。新卒とそれ以外の人は同じ人間ではないのですか。
卒業して、それから働くことに目を向けることはいけないことでしょうか。


もはや就職活動は就活戦争なんじゃないかって思います。
皆同じスーツを着て、選考に進まなければ落とされる。
お祈りメールに人間味を感じない。

最近みたオランダのワークシェアリングについての映像が、頭から離れません。
正社員って、なんだろう。

就活の中、迷走しています。

【賛同メッセージ】
 こういうこと発信して下さってる方々がいるのは心強いです。


美術系大学生



投稿ありがとうございました!(実行委員会)

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日本には哲学が足りない!!

哲学科の者です。

私は、学問(特に哲学)が軽視されている日本社会の現状に不満を持っています。


「我日本古より今に至る迄哲学無し」
「哲学無き人民は、何事を為すも深遠の意無くして、浅薄を免れず」
「総ての病根此に在り」

100年ほど前、中江兆民がこう言いました。

日本に哲学無し。
この言葉、今の日本にも当て嵌まるのではないでしょうか?



例えば、私が「哲学専攻してます」と自己紹介すると、
「哲学??難しそうだねー」
といった反応をされ、それ以上話が膨らまないのがふつうです。
みんな、哲学なんて、あんまり興味ないのです。


今まで日本は実学を重視してきました。
豊か?に生活してこれたのもそのためかも知れません。

しかし、哲学(倫理学)をもっと重視する国だったら
企業にも、一般市民にも哲学が行き渡って、

原発事故はなかったかも知れない。
水俣病はなかったかも知れない。
労働法を守らない企業や、過労死も少かったかも知れない。

と思うんですが、気のせいでしょうか。


新卒一括採用は、学問を軽視し、また阻害するシステムです。
平日に選考があれば授業やゼミを休むことを余儀なくされ、
卒論を書き終える前に内定が出る(つまり卒論が評価されない)のです。
大学は合理的な企業的価値観で溢れています。
皆就活を意識しており、ゆっくり哲学するような場所ではなくなっています。

ここには
大学<企業社会
というこの国の価値観があるわけですが

少なくとも
大学=企業社会
という力関係がなくてはならないのではないか!


私の要求は、
・新卒採用枠を減らし、卒業後就活を一般的な選択肢とすること。
そして
・単位取得基準をもっと厳しくすること。

です。


引用元 『一年有半』中江兆民


by cbot

投稿④(「ここが変だよ、日本の就活」)

「シューカツ経験者」の方からご意見いただきました!

【「ここが変だよ、日本の就活」】
 何故大きい企業、有名な企業を目指すかというと結局のところ、「食っていくため」「安定した生活を送るため」「親を安心させるため」「その企業に所属しているという満足感を得るため」というのが大部分を占めるはずなのに、胡散臭い自己PRをキラキラした笑顔で語らなければいけないというのが苦痛でしょうがない。

会社説明会の質疑応答の時間に「○○大学の××です。本日は貴重なお時間をありがとうございました」などと切り出し、説明会のために投入されたであろう採用には直接関わらなさそうな若手社員にイタい自己PRを織り交ぜた質問する学生などを見ると吐き気がしてくる。

新聞で読んだ記事だが東北大震災のボランティアを申し込んできた学生が「ボランティア終了後、証明書のようなものは発行されますでしょうか?」と尋ねてきたそうだ。就活で使用したいらしい。

とりとめの無い内容になってしまったが「学歴×コミュニケーション能力×突出した自己PR」が変な方向にインフレを起こしてしまっている現代の就活事情が気持ち悪くてしょうがない。

シューカツ経験者




投稿ありがとうございました!(実行委員会)

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まずは行動!!

!!!!!!とりあえず行動しろ!!!!!!















なんか難しいこと言ってそれは違うだの、もっとこうしろだの正直だるい。
もう十分すぎるほど考えたし議論した!
とりあえず、デモをやればいい。デモに来ればいい。
良くも悪くも世の中そんな簡単に変わらないし、
そんなにデモはおおごとじゃない。一回で成功しようとなんか思ってないぞ!!
失敗してはいけないものじゃないし!失敗したら方法を変え何回もやればいい!!
はやくデモやって失敗し!また次の方法考えたい!!



理系の考え方?なのかわからないけどこれが僕の主張です。
実験が上手くいく事なんて滅多にない。とりあえずやろう。
よい実験結果を生むには数をこなす事が重要!
難しく考えると苦しくなるだけです。失敗しても大丈夫です。
気楽に構えましょう。



工業大学 四年 電気専攻 オキュパイ

第二回ゆとり首脳会談 放送しました!

先日13日の日曜日に、「ゆとり首脳会談」というイベントに参加しました。以下のリンクから録画したもの見ることができます。是非ご覧下さい!「就活ぶっこわせデモ」からは代表の小沼と実行委員の宮内が登壇しました。

↓↓録画動画はコチラから
「第2回ゆとり首脳会談 ~どうなる!? 2011年就活デモ~」

※最初50秒ぐらい真っ暗ですが、ちゃんと配信されるのでご安心下さい。それと最初の方が音が小さいので、音量を大きめにしてお聞き下さい。


以下「ゆとり首脳会談」のブログより転載
第2回ゆとり首脳会談
~どうなる!? 2011年就活デモ~

09年に北海道から始まった就活デモは、2010年全国4都市に拡大し、その後院内集会まで行った。3年目となる今年は何を生むのだろうか。今年、デモやイベントを企画している4団体の当事者たちの声を聞いてみたい。「就活」と「労働」との戦いは果たしてどこへ向かうのか。

勤労感謝の日を目前に控え、それぞれの団体の動向に迫る。


出演
就活ぶっこわせデモ@東京
2011就活デモin京都(仮)
タブーなき就活大論闘
ブラック企業撲滅デモ
2010就活どうにかしろデモOB

司会
森田悠介(早稲田大学)



「第2回ゆとり首脳会談 ~どうなる!? 2011年就活デモ~」


投稿③

大学生(@swallow_bus)さんからご意見と賛同メッセージをいただきました!ご紹介させていただきます!

【肩書き・ご職業・所属等】
 大学生

【Twitter名】
 swallow_bus

【「ここが変だよ、日本の就活」】

 私は、3年次の11月中旬より「シューカツ」を始めました。昨年、1社も内定が決まらずに、「留年」を決めました。その後の結果としては1社から「内定」通知が出ましたが、納得がいかず、まだ続けています。

「シューカツ」の理不尽を告発したいと思います。

今、「シューカツ」の時期が早まり、そして活動期間が長くなっています。「早期化」・「長期化」によって、セミナーや企業の説明会、筆記試験、採用面接は大学の学事日程を考慮せずに、平日に白昼堂々と行われているのです。これでは、ゼミや授業に出られないだけでなく、卒論にも集中して取り組めないのです。

また、経済的な面においては、交通費やスーツ代、雑費などで相当かかります。活動中はバイトのシフトを入れるのが困難となっています。バイトのシフトを入れても、面接や筆記試験の3日前、場合によっては1日前に「採用面接があるので来てくれ」という電話がかかります。それは断ることが出来ません。断れば、次のステップに進めないからです。バイトをドタキャンしたことも多々ありました。
また、履歴書・エントリーシートを書くのにも、時間と労力を使います。全部手書きで書かなくてはいけないため、バイトする時間も削られます。郵送するにもお金がかかります。

今の「シューカツ」は、新規学卒者でなければ、企業に就職できない。既卒者になってしまえば「門前払い」となってしまい、「再チャレンジ」すらできなくなってしまいます。そのようなやり方は、非常におかしいと思います。

また、今の「シューカツ」は、「非正規雇用にならないための競争」となっています。まさに、「イス取りゲーム」なのです。誰かを必ず蹴落とさなければならない。そのようなゲームはおかしい。

僕たちは人間らしく働きたいし、人間らしく普通の生活がしたいということを訴えたいと思います。

【賛同メッセージ】
 法事のため、11月23日のデモには行けませんが、「人間らしい労働」を実現するために、微力ながらお手伝いできたらと思います。



投稿ありがとうございました!(実行委員会)「就活生」からの悲痛な現状が次々と明らかになっています。本当に今の「就活」は何かおかしいのです!

※「ここが変だよ、日本の就活」&「就活ぶっこわせデモ」賛同メッセージは下記のフォームから募集中です。
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投稿②

芸術関係の大学生の方からもご意見・賛同メッセージをいただきました!どんどん来てます!全部を紹介できるかわかりませんが、ちょっとずつ紹介していきたいと思います。

【名前の公表】
 お名前を公表してもよろしいでしょうか?=匿名希望

【肩書き・ご職業・所属等】
 大学生、芸術関係


【「ここが変だよ、日本の就活」】
 とにかく時間がかかること三次面接だとか篩いにかける時間があまりにも掛り過ぎる、何故大学生は3年生から就活が趣味みたいにならなくてはいけないのか。もう少しゆったりしてもいいはず、多分それは新卒至上主義だからなんじゃないかなと思う、あまりにも時間がかかるのは馬鹿馬鹿しい僕のことは色々間違ってるかも知れないからただ単に愚痴ですけど、もっと就活をスマートにコンパクトにして欲しいです。あと別に学生じゃなくても年齢だけでもいいような採用条件とかあるわけで、それはコンテストとかもそうだけど学生に企業がこだわりすぎている気がする別にアルバイターとかでもいいのではないでしょうか。

【賛同メッセージ】
 デモをするまではあまり賛同は出来ませんが「おかしいんじゃないの?」と言うのは賛同します是非署名活動や嘆願書など協力もしたいし応援していきたいです。




ご投稿ありがとうございました!(実行委員会)

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投稿(「ここが変だよ、日本の就活」&賛同メッセージ)

地方国立大の大学生の方から、「ここが変だよ、日本の就活」&賛同メッセージをいただきました!ご紹介させていただきます!

【肩書き・ご職業・所属等】
 地方国立大生


【「ここが変だよ、日本の就活」】
 わたしには叶えたい夢があって、その夢を叶えられる企業で働こうと考えております。
そんな企業で働くためなら、勉強であろうと、選考試験であろうと頑張ろうと思えるのです。

***

ところが「シューカツ」では30社もの、50社もの企業にエントリーをするのが当たり前になっています。。
これはおかしなことではないのでしょうか?
50社もの企業全てに対して、絶対にここで働くんだ!という熱意を持っている学生はいったいどれだけいるのでしょう。
中にはそういう人もいるのかもしれません。
けれど、ほとんどの「シューカツ」生はそうでもなく、「とりあえず」エントリーしているのが現状であると思われます。

そして、生半可な気持ちで選考を受ける学生、そんな学生に対応して下さる企業の社員さん…どちらにとってもその選考の時間は有意義であるようには思えないのです。
「とりあえずエントリー」が生み出している無駄について、社会はよく考えるべきではないのでしょうか。

***

さらに、「とりあえずエントリー」だけではなく「とりあえず大手」の流れも気になります。
これは、大学受験の際に「○○大学(某有名私大)だったらどこの学部でもいいから」と全学部受験をした高校の同級生を想起させます。
確かに彼・彼女はその大学の校風とか、その大学にあるサークルとか、そういうものに惹かれたのかもしれません。
しかし、彼・彼女が大学で「何をしたいのか」がわたしには見えず、憤りを感じました。

「シューカツ」でもそのような学生をたくさん見ました。
「就活での目標は、○○商社から内定を頂くことです。」「△△社の内定を絶対取る!」…内定をもらったらいったいその後はどうするのでしょう?
就職というのは、目的ではなく夢をかなえるための1つの手段だとわたしは思っています。
ところが、シューカツ生はメディアの情報に振り回されて、就職することを目的としてしまっているのではないのでしょうか。

***

わたしは、自分がしたい仕事がしたい!と言えて、そんな仕事に向かって素直にまっすぐつき進める社会を望みます。

【賛同メッセージ】
 就活はしますが、「シューカツ」には反対です。

*11/23のデモですが、インターンシップのため参加できません…夢をかなえるための努力はデモよりも個人的に重要なのです。

(終)




ご投稿ありがとうございました!(実行委員会)

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生き方の多様性を求める闘い(賛同メッセージ)

木野トシキさん(Twitter: @Kino_from_Tokyo )から「就活ぶっこわせデモ」に賛同メッセージが届きました!ご紹介します!


生き方の多様性を求める闘い

みなさんこんにちは。私はフルタイムの仕事を持ちながら社会人学生として学ぶ大学2年生です。
したがって自身は就職活動をする立場ではありませんが、今回の就活デモを企画した大学生、高校生、その他の学校の学生のみなさんなどの主張に強く賛同し、運動の成功を祈る一人です。

多くの学生のみなさんが当たり前のように経験している、もしくはこれからすることになる「シューカツ」ですが、学生たちが決められた時期に一斉に職を探し始めるというスタイルは、極めて日本独特のものです。
いくつかデータを見てみましょう。

「就職活動の開始時期・大学在学中に就職活動を始める学生の割合」

スペイン 6%
フランス 18%
イギリス 48%
ドイツ 48%
フィンランド 44%
ノルウェー 63%
日本 97%

欧州では、大学卒業後に正規の職を探すというルートはごく普通に見られるようですね。
一方、日本では、卒業後の採用については、いわゆる新卒学生に比べて著しく不利になることが知られています。

続いて、こちらをご覧ください。

「大学入学前に雇用経験がある学生の割合」

フィンランド 76%
ノルウェー 57%
ドイツ 38%
イギリス 16%
フランス13%
日本 1%

北欧では高校卒業後に一度就労する学生が多く、中西欧でも一定の割合で社会人を経験後に大学に進学する例が見られます。
一方、日本の場合はほとんどの学生が就労体験を持たず、高校からストレートに大学に進学します。

もちろん諸外国と日本では条件が違いますし、若年失業率が欧州に比べれば低水準に抑えられているのも日本式の採用制度のおかげだという見方もあるようです。

とはいえ、就職に至るまでのルートにここまで多様性が認められていない国も極めて珍しく、自由度の少なさに絶望を覚える若者の気持ちは大変良くわかります。「就活デモ」は、多様性な生き方が認められる社会を求める若者たちが、ついに声を上げた運動なのではないでしょうか。

そんな若者の真摯な声に、
「外国のように多様性を認めろなんて、甘えだ」「ここは欧米ではない。日本だ。日本のルールに従えなくて逃げているだけだ」
などと耳を閉ざす企業の大人たち。急激なグローバル化、産業構造、社会構造の変化という現実から逃げて、甘えているのは、あなたたちの方ではありませんか。

多くの企業が、「グローバル人材がほしい」「従来の採用方法にこだわらず、多様な学生を採りたい」「即戦力になるような学生が欲しい」などと都合のいいことを言いながら、卒業後に海外で経験を積んだ若者を既卒であるというだけの理由で選考から弾き、北米では禁止されている性別や年齢での差別を公然と行い、非正規社員としての就労経験も職歴として認めない。矛盾を感じるのは私だけでしょうか。

今回は大学生を例にとりましたが、高卒者、中卒者やその他の学校の卒業生の就職状況も依然厳しいのが現状です。
「シューカツ」に文句を言いたい若者のみなさん、そんな若者を応援しているみなさん。当日はぜひデモに集まって、熱いメッセージを新宿の街に響かせましょう。

(参考文献 日本労働機構『日欧の大学と職業』)

木野トシキ
090-6081-8247
kino6310@yahoo.co.jp



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「ここが変だよ、日本の就活」&賛同メッセージ募集!

 これまでブログで告知してきたように、11月23日(祝/水・勤労感謝の日)に「就活ぶっこわせデモ」を行います。私たち実行委員は、少なくとも「今の就活はおかしい!」という点を共有し、それぞれの思いや考えからこのデモを企画しています。デモの方向性は【「就活ぶっこわせデモ」宣言】に記しました。

 実行委員会では「今の就活はおかしい」と思っているのですが、他の方々がどのように考えているのか十分に知っているとは言えません。そこでここでは皆さんからの、「ここが変だよ、日本の就活」というご意見を募集します。とにかく今の「就活」の「ここが変だ」という点を言っていただければと思います。実際に「就活」を経験しての体験談、「就活」はしていないけど感じる違和感、あるいは「就活」から見えてくる社会の問題等々、様々な観点からのご意見お待ちしております。

例:「就活にバイト代全部使ってしまった」「就活ビジネスで滝に打たれる「修行」を受けた」「就活留年して、学費が一年分余計にかかった」「なんで就活セミナーが入学式と同時に始まるの?」などなど。

 また、同時に「就活ぶっこわせデモ」および実行委員会に対する、賛同メッセージを募集します。「就活ぶっこわせデモ」の趣旨や方向性に賛同できるという方は「賛同メッセージ」を添えていただけるとうれしいです

なお、「ここが変だよ、日本の就活」は賛同か否かを問いませんが、「賛同メッセージ」の場合は「賛同」を前提とします。「ここが変だよ、日本の就活」は皆さんからの投稿で成り立ちますので、実行委員の総意や統一見解ではありません。「就活」のおかしい現状について、多様な意見があることを示せればよいかと思っています。ご理解下さい。また、入力の際には、どちらかだけでも構いません(もちろんどちらも書いて欲しいですが)。「賛同」はできないけれど、「就活のおかしい!」という人は前半部分だけお書き下さい。

 以下のフォームから、皆さんからのご意見、「ここが変だよ、日本の就活」をお寄せ下さい。賛同メッセージもよろしくお願いします。字数に関してはそれぞれ、最大3000字までとなっております。もしもそれを超えるような場合には、公式アドレス bukkowasedemo@gmail.com まで直接お送り下さい。最小制限はありませんので、一行、一言でも構いません。

 公表の際には、(名前、肩書き・職業、[Twitter名])とともに、ご意見&メッセージをブログに掲載し、紹介する予定です(すべてを公表できるかはわかりません。また、趣旨に反するような文書、特定の個人を誹謗・中傷するような文書に関しては掲載を控えさせていただく場合がございます。あらかじめご了承下さい)。なお、匿名希望の場合には必ずフォームでチェックをお願いします。

 何か不明点がありましたら、「就活ぶっこわせデモ」の公式アドレス bukkowasedemo@gmail.com までお問い合わせ下さい。

※なお、ここでの個人情報は「就活ぶっこわせデモ」のアピール以外の目的には使用しません。


↓↓送信フォームはコチラから
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大学がシューカツ(有用性)にのまれていく!!!!

近年、教育行政の新自由主義化が進んで著しい。特に、大学におけるそれはあまりにも顕著である。本来大学という機関は、国家権力、もしくは資本の生産性からは完全に独立しているべきものである。歴史的に見れば、「教育機関」は、資本主義機械のうちにあるものとして設置されたと言い切れるだろう。しかし、当の大学自身はそうあることを拒否してきたし、事実その拒否は(様々な浸食があったとはいえ)ほぼ貫徹されてきた。今日ではどうだろうか。単純に制度の面を見てみれば、指摘するべき教育行政の変化は数多い。しかし、本ブログでは、現状の制度についてなどではなく、(制度―社会構造の生み出す)個人の意識の次元について論じたい。(近年特にというわけでもないが)教育と生産とを結びつける大きな流れがまずあって、そしてそれが、学生の意識の次元にまで影響を及ぼしてきているのである。
資本の生産性に取り込まれた存在である我々学生は、まずもって、すべての価値を「生産」に照らし合わせた上で行動を選択する。一例を挙げれば「単位さえ取れればなんだっていい」などという意識である。学生生活のすべてを「就職に有利か否か」という行動基準のみを持って処理してしまうのだ。「就職に有利である」と言われているゼミには応募が殺到し、そして就職活動の時期になれば、「企業からの要請」に従順な学生たちは、そのゼミを(良心の呵責もなく)休んでしまうのである。「勉強なんてどうでもいいけれども企業の説明会には必ず行かなければならない」という価値観である。生産の流れのうちにはないもの(つまり学業)に対しては重きを置かないが、社会(資本の流れ)に対しては非常に従順な態度を持って、相対していく・・・(我々)学生は(資本の論理から見て)「無駄」なことは一切しないのである。
つまり、「意識」や「道徳」の次元にまでそのような企業的な価値が入り込んできているのだ。資本からは完全に切り離された「大学」というスペースに生きる我々のうちにまで・・・。

学生は企業に入るまでの「過程」として大学を選びとる。しかし、一旦入学してしまえば、一瞬間、資本の生産性 からは切り離されることになるという構図があった。いまではその効果が薄れつつある。大学の中に入ってなお「この行動は就職に有利か否か」という判断を迫られる割合が増えているのである。(暴力的なまとめ方ではあるが)大学というものは、徹底的に非生産的なものの象徴としてあるべきである。徹底的に資本から切り離された空間、つまり「蕩尽」をよしとする空間としてあるべきである。
有用性が重視される我々の社会の中にあって大学とは、まったく「無駄」なものの象徴としてーつまり、端的に言えば「精神を沸騰させる何か」をつかみ取る場としてのみあるべきである。バタイユは「世界はパロディ的である」と言っている。しかし有用性が極限まで重視されるこの社会にあっては、精神に作用するパロディが、つまりパロディたる事物を充満させるに足りる空間が、全く足りていないものである。「精神を満たす(当然それは、普遍経済的な意味で)」という目的を履行するに当たって、「生産」という価値は「敵」である。であるからして、我々は、生産からは切り離された空間(エリア)として、大学を置かなければならないのである。
私は、資本主義を「悪」であるなどと論じるつもりはない。私の論ずる内容は、非常に逆説的なものであり、資本主義というシステムが存在していなければ成り立つものではないとも言えるだろう。しかし、そのようなパラドキシカルな部分を把握していただいた上で、まとめに入らせていただくとしよう。
つまり私は、「詰らない価値観を再生産するシステム」の象徴として資本主義をとらえたい(我々にとって、まさしく(パロディ的に)精神に作用する行為というものは(資本の生産性からは逸脱した意味での)「消費」「蕩尽」でしかない)のである。「詰らない」という表現はあまり学問的なものとはいえないかもしれない。しかし、それ以外に適切な表現があるだろうか。まず資本主義=有用性を重視する社会があって、それに対して、そことは別の部分で、我々は「蕩尽」を行うべきなのである。
我々は、大学で、壮大な「無駄」を学んでいる。これは、「有用性との敵対」を突き進めていく上で、おおいに肯定されるべき行為である(当然、無駄を求めている時点でそこには逆説的に有用性が存在しているということになるのではないか、という議論もあるだろう。しかし、それは正解であって正解ではない。つまり私は、資本主義的な論調において「無駄」を求めるのではなく、まさしく「普遍的な」意味において「無駄」を求めるべきだと思うのである)。大学という空間の「無意味性」は、まさしく普遍経済学的な観点から、肯定されるべきなのである。
さて、ここで「有用性」に浸食されはじめている大学の現状を嘆き、具体的な改革方法を提示することもできるだろう(就職活動の早期化を議会を通じて社民主義的に改良するなど)。しかし、本質的には、我々が感じ取る「普遍経済的な意味における沸騰」というものは、そのような「改革」の成果として得られるものではない。我々がまずもって目を向けるべき沸騰は、「社会という有用性を最重視する空間に対して、非生産的エリアにいる学生たちが、非生産的に立ち上がっている」という事実だけなのである。学生諸君、「壮大に無駄なエリア」である大学を、資本の手から守り抜こうではないか!!!!

文責:ポトラッチマン 


参考
ウェーバー・プロ倫
バタイユ各書

うおおおおおおおおおおおおお!!!!!!

「ふと周りを見てみると

自分を信じて生きてる奴ら

信じるのはいいが それをいちいち人に

語る事によって確認してる


結局何も信じてないやないか

オラぁいちぬけた!」

―――ガガガSP「オラァいちぬけた」




ポンポンポンポポポポンポン♪
愚民のみなさんこんにちは!愚民の白石くんです!(^^)!


なんかさ、実行委員のみんなが、毎日毎日難しい政治の議論をしていて着いていけないよね。
なにが、ぽすとふぉーでぃずむだよ。なにが、キンダイ経済学だよ。
俺が読みたいのはキンゼイ報告なんだよ!!!


・・・ボクはどうしてデモ実に関わっているのか、たまに本気でよくわからなくなる。
政治のことや、社会構造については全然わからない(デモをやる学生は馬鹿だ!!!とか騒ぎ立ててるタイプの学生たちと同レベルの知識)。

けれども、ビビっとくるポイントがきっちりとあるから、居続けているんだよね。


デモ実には、まじめな人(9割ぐらい?)もいれば、ホワホワしているやつもいる。保守の人もいれば、左っぽい人もいる。リア充もいれば、リア充じゃないやつもいる。単純に、そういう集団に、魅力を感じたよね。
彼らは、同じことをロボットみたいに喋っては、少しの意見の違いを持って「組織から出ていけ!!!」みたいなことをやる人たちとは全然違う。それから、「お前はデモに対するストイックさが足りない!!」などとキレ始める、企業道徳に侵されているタイプのやつがいない。そういう集団に、素晴らしさを感じたよね。





日本の学生は、どいつもこいつも、謎の奴隷道徳にしがみついているやつばっかり(>_<)
でも、しがみつききれていないから、僕たちを叩くことによって自らの立ち位置を再確認し続けなければ気が済まない。

日本以外の先進国の大学生たちはみんな暴れてて、うらやましくなっちゃうよね(>_<)


まあ、とにかく、俺たちもむかついたら暴れるんだよ(>_<)!!!




うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお、おらぁいちぬけた!!!!!!!!!!!!!!!!!!









明治学院大学3年 白石

檄文(すずきおるず)

 就活ぶっこわせデモに関するツイートやこのブログに寄せられたコメントを見ていて、気になる点が一つある。
 「雇うのは企業なのだから、雇われる側は企業に従うのが当然」というような意見が、複数見受けられることだ。

 少し、経済学の話をしたい。
 労働価値説という学説がある。読んで字のごとく、労働が価値を生み出す、商品の価格はその商品に投下された労働量によって決まるという説だ。あるいは、商品の価値を決めるのはその商品の作り手だとする考え方とも言える。アダム・スミスやリカードやマルクスなどのいわゆる古典派経済学者が奉じたこの説ではしかし、説明できない事象が多すぎた。例えば、労働価値説によれば賃金の増減は物価に影響を及ぼさない。商品に投下された労働量は変わらないからだ。しかし、実際には賃金の増加は物価の上昇を招く(インフレ)し、賃金の減少は物価の下落を招く(デフレ)。労働価値説ではこういったことを説明できなかった。
 これに代わって、近代経済学と呼ばれる学派が主流になった。近代経済学では、労働はもはや価値を生み出さない。商品の価格は、消費者がその商品から得られる効用によって決定される。労働価値説が「商品の価値はその作り手が決める」という説であれば、近代経済学は「商品の価値はその買い手が決める」という考えだとまとめられるだろう。近代経済学は、労働価値説では説明できなかったことの多くを説明できた。その結果、現在に至るまで経済学の主流はいわゆる近代経済学が占めている。
 さて、読者の皆様は、労働価値説と近代経済学のどちらに共感されるだろうか。商品の価値を決めるのは、その作り手か、その買い手か、どちらだろうか。

 就活において、人間は商品になる。
 就活に臨む学生たちは、いかに企業に採用してもらえるかを考える。企業の望む人材になれるように勉強をし経験を積み、企業に気に入られるようにメイクし服装を整え、企業でやっていけるように協調性やチームワークを磨く。企業という買い手の効用がより大きくなるように、自分という商品を作り上げていく。ここにおいては、買い手の論理、近代経済学的な論理が貫徹している。
 別に、人間が商品となることを一概に批判するつもりはない。労働に対価が与えられる以上、労働は商品という一面を持つ。このこと自体には良いも悪いもない。また、いわゆる要領の良い学生は、就活や労働においては人間は商品だと割り切って行動し、それ以外の趣味などの分野で自己を充足させるだろう。私の父がこの考え方に近い。あるいは、労働において商品として生きることに自己を見いだす人もいるだろう。例えば、高度経済成長期のモーレツ社員などはここに分類できる。こういった、現行制度の下で幸せに生きることのできる人々を批判するつもりは毛頭ない。幸せであれば、それがなによりだ。
 しかし、現行制度の下で息苦しさを感じる人間も、一方でいる。就活や労働においては人間は商品だと割り切ろうとしても、どうしても割り切ることのできない人間はいる。あるいは、割り切ったとしても労働に追われて余暇が無く、自分を充足させることのできない人間はいる。買い手が商品の価値を決めてしまうことに、抵抗を覚える人間はいる。
 そういった人間は、どうすればよいのだ。

 先に、労働価値説と近代経済学の話をした。
 現代において、近代経済学的な考え方、すなわち商品の価値は買い手が決めるという考え方は、経済学の範囲を超えて、広く世間一般に流通している。冒頭に挙げた「雇われる側は雇う側に従うのが当然」という発想も、極めて近代経済学的だ。
 さて、近代経済学と労働価値説、どちらが正しいのだろうか。
 結論から言えば、どちらも正しくないのだろう。もちろん、近代経済学の方がより多くの事象を説明できるという事実はある。しかし、このことは近代経済学こそが絶対の真理であり、従うべき規範であるということを意味しない。
 学問は、現実をより上手く描き出し、より納得の行く説明をするために存在する。まず現実があり、その上に学問が存在するのだ。現実が学問に従うわけでは、決して無い。

 商品であること、商品と見られることに、抵抗を覚える人々よ。
 「商品の価値は買い手が決める」というのは、単に学問上の見解であって、絶対的な規範ではない。
 それに代わる何かを、現実において創り出していくことは、可能だ。

すずきおるず
@suzukiorz on Twitter

【今日】イベント&交流会!

交流会!の詳細です。


11月12日(土)第2回ゆとり首脳会談「~どうなる!? 2011年就活デモ~」に、就活ぶっこわせデモ@東京のメンバーが出演します!

去年の就活デモ実行委員や、京都の就活デモとフォーラムの方、ブラック企業撲滅デモの方と議論します!

19時~21時です!

おうちでユースト配信を見るか、直接10℃CAFE(高田馬場)へ!

直接の観覧は、1200円です。10℃CAFEは席に限りがあるようなので、ツイッターもチェックしてください。



そしてその後、交流会を行います。

22時~24時 高田馬場の居酒屋を予約してあります!
コース、飲み放題で、1人2300円です。

実行委員がどんなやつらか知りたい!
就活について議論したい!
就活の愚痴を聞いて欲しい!


そんなみなさんの参加、歓迎します。
ゆとり首脳会談を観覧→交流会 がオススメの流れですが、
交流会だけ、ゆとり首脳会談だけも当然OK!!です。

交流会の参加者は、高田馬場駅早稲田口に21時40分集合です!

参加希望される方、就活ぶっこわせデモ@東京のアカウントにリプライください。
http://twitter.com/#!/syukatsu_tokyo

お待ちしてます!

(penguinlegs)

明日ユースト放送に出演します!

イベントの告知をさせていただきます。
明日、2011就活デモin京都(仮)さん、タブーなき就活大論闘さん、ブラック企業撲滅デモさんとユースト放送に出演します!


以下、ゆとり首脳会談さんのページから転載。


第2回ゆとり首脳会談
~どうなる!? 2011年就活デモ~


09年に北海道から始まった就活デモは、2010年全国4都市に拡大し、その後院内集会まで行った。3年目となる今年は何を生むのだろうか。今年、デモやイベントを企画している4団体の当事者たちの声を聞いてみたい。「就活」と「労働」との戦いは果たしてどこへ向かうのか。

勤労感謝の日を目前に控え、それぞれの団体の動向に迫る。


出演
就活ぶっこわせデモ@東京
2011就活デモin京都(仮)
タブーなき就活大論闘
ブラック企業撲滅デモ
2010就活どうにかしろデモOB

司会
森田悠介(早稲田大学)

放送開始19時 ユーストリームURL
http://www.ustream.tv/channel/第-回ゆとり首脳会談



直接の観覧も可能です(会場使用料で一人1200円かかります)。
会場は高田馬場の10℃カフェさん3階。18時半からご入場できます。

地図


席に限りがありますので(30席ほど)もしも会場が満員になりましたら、ツイッターアカウントなどでお知らせいたします。当日は誘導の係もおきますが、裏口からご入場ください。





終了後は交流会も予定していますので、ぜひとも皆様お気軽においでませヾ(*´∀`*)ノ



68キロ

「叫び」の「寿命」について

「就活ぶっこわせ」デモは単に学生達の、それも「全体」ではなくある「一部分」の学生達のある一部分の学生達によるある一部分の学生達のための行為に終わるであろうか。「終わる」と、そう言う人もいる。特に反対者はそう言う。そして反対者がそのように「終わる」と言うことは反対者の有り様としては完全に正しい。何故って、もしも本当に「就活ぶっこわせ」デモが単にある一部分の学生達のある一部分の学生達によるある一部分の学生達のための行為として終わるとするならば、やがて来る11月23日に「就活ぶっこわせ」デモの示威行進の参加者と支持者≒潜在的参加者を構成する者達の「就活ぶっこわせ」という「叫び」はただ空気を振動させるのみなのであって、ゆえに傍観者はただ生理学的にのみそれを「聞く」と推測できるから。言い換えれば、そうした「叫び」は極めて短い、流体力学的に計算可能な次元での「寿命」しか持たないと推測できるから。
 しかし本当に「終わる」のだろうか。
 本当に?
 ある時点で社会内部に生成された現象というのは、常に、社会という論理機構がその時点における論理的帰結として生成したものである。「就活ぶっこわせ」デモ実行委員会の委員である学生達がデモという言葉で「批評」しようとした、新卒一括採用制度を中心に構成された現代日本の「就活」という現象も、当然、そうである。
 ということは。
 ということは、だ。
 文章を挑発的なものにするため、結論から述べるが、「就活ぶっこわせ」デモがある一部分の学生達のある一部分の学生達によるある一部分の学生達のためのデモとなることはないだろう。
 というのは仮にデモという「言葉」を用いた現代日本の「就活」というものに対する「批評」が、ある一部分の学生達の、「就活」に対して発した問いから開始されたものだとしても、その「批評」が「批評」として完成されるためには、そのような「就活」というものを生成した論理機構=社会一般に対する「批評」にまで展開されなければならないのであり、そして展開しうるからだ。
 何が言いたいのか?
 つまり「就活ぶっこわせ」デモという「批評」行為の内で叫ばれる「就活ぶっこわせ」の「叫び」は、単に空気を振動させるだけではなく、「ある一部分の学生達」以外にも、「就活」に対する「批評」が社会に対する根本的「批評」として自己を展開する瞬間まで、連鎖的に「届く」だろうし、その「批評」行為を引き継ぎ、自分達の「批評」行為を構築するための参考にしたいと考える者達のために幾千回も「蘇る」だろう。




(当然世界 Twitter:@touzensekai)

「就活ぶっこわせデモ」宣言

【「就活ぶっこわせデモ」宣言】

 私たちは「就活ぶっこわせデモ」実行委員会である。「就活ぶっこわせデモ」実行委員会一同は少なくとも今の「就活」のあり方に堪えることが難しいという一点で一致して集まった。私たちは「就活の早期化と肥大化」によって大学生をはじめとする、多くの人々の社会生活が「就活」に侵食されている現状に異議を申し立てたい。そのために、来たる11月23日(水・祝)の勤労感謝の日に、東京・新宿で「就活ぶっこわせデモ」と題したデモを行う。その異議申し立てのデモを行うに当たり、まずはこのデモの方向性を明らかにしておきたい。すなわち、「就活」に対する個々人の考え方や、その具体的な要求は異なっているとしても、このデモへの参加者が少なくとも共有しうる最低限の要求項目を、次に述べたいと思う。


<最低限要求項目>

 私たちは、「就活」によってもたらされている、現在の閉塞状況を打破するために、行政・企業・教育機関が相互に連携して、下記の要求に基づいて行動することを望む。


一、「就活の早期化と肥大化」を防止するために、「就活」が学業及び社会生活に与える影響を最小限にするような法的・制度的枠組みを構築すること。


二、教育機関や企業は、これから就業について考える人々に対して、「就活」に対する不安、ひいては生きることに対する不安を、不用意に煽らないようにすること。


三、特定の企業の短期的な利益よりも、社会全体の長期的な利益が向上するような展望を持ち、持続的な就業の仕組みを作ること。


四、企業は労働条件・採用条件等の情報を明確に開示すること。またその情報が就業を望む人々に対して、十分に伝わるような公示システムを構築すること。


五、企業は「就活」に臨む人々の採用に際し、特別な事情を除き、身体的諸特徴、年齢、性別といった、就業の条件・労働内容に直接関わらないような個人の特性によって、不当な扱いをしないようにすること。


六、経済的格差や政治的差別が、「就活」及びそれに関わる教育制度において、不利に働くことのないように、制度の向上を図ること。


七、行政は企業に対して、適切な監視・監督を行い、不正が発覚した場合には、必要な措置・処罰・対処を速やかに、かつ厳格に実施すること。また、企業の不正によって被害・損害を受けた個人や集団に対し、適切な支援を行うこと。


八、望んでいたにもかかわらず、何らかの偶発的な事情で就業を諦めざるを得なかった人々に対し、経済的な保障及び精神的な支援を行うとともに、再び就業に向かう際の障壁が最小限になるような制度構築をすること。


九、就業を意図する人々が、可能な限り自身の選択の幅を自ら広げられるような積極的な制度構築を行うこと。


十、上記の制度の改善・構築は、それによる将来の就業の仕組みにおいて、より不利な立場に置かれる人々に最大限配慮しつつ、社会における特定の層が極端に有利、または不利になることのないよう、公正を期して設計されること。



以上十項目


 私たちは就活の現状に疑問を感じ、上記の項目の方向性を少なくとも共有できるような個人に対し、「就活ぶっこわせデモ」への参加を呼びかけたい。また同時に、社会の構成員たるあらゆる人々が、この「就活ぶっこわせデモ」を契機として、「就活」の問題に対して、広く議論を起こし、真剣に向き合い、共に考え、そして行動していくことを願う。


「就活ぶっこわせデモ」実行委員会一同








追記

※「宣言」においては「就業」と「就活」を明確に区別しています。「就業」とは、単に何らかの職業に就くことを指します。新しい職を自ら作ったりすることも含みます。それに対して、「就活」はあくまで現在一般的とされる就業の仕組みの一形態です。現在の「就活」システムというのは大卒、とりわけ新卒が極めて優遇される就業形態です。

※ここで示されているのは、あくまで「最低限」の項目です。これまでも強調してきたように、「就活」や就業に関わること、さらには生き方といった面では、現在のところ実行委員の中でも統一見解は持たないことになっています。デモの参加者もまた同様です。具体的に「〜に反対」「〜の点はおかしい」ということに関しては、実行委員、及びデモ参加者の個々人の主張を制限しません。

※「就活ぶっこわせデモ」は個人による集まりです。政治団体の、政治団体としての参加はお断りしています。

普通のブログ

こんばんは、東洋鍋子です。
ビラも完成し、これから情宣が本格的に行われます。
楽しみ、楽しみ。

実は昨日、気合いを入れた文章をじっくり書いていたのに、消えてしまいました。
あぁ残念ですが、仕切りなおして書いていこうと思います。

今日はデモコース下見でした。
新宿をうろうろとコース確認。途中、模索舎にビラを置いてもらいました。
就活ぶっこわせデモのビラが、天皇ごっこ、サウダーヂのポスターと肩を並べています。
終わってからは女子で二丁目へいき、飲んで終電帰宅って感じでした。
ここ最近はデモ実とは毎日会ってますー。
明日からは学内でビラまきます。

私はデモには実行委員兼撮影で参加しています。
まさか撮影で参加できるなんて思ってもいませんでしたが、就活ドキュメンタリー
を作るべく、日々カメラを回しています。そしてデモ当日には、参加者の就活への怒り、
叫びを記録したいです。
「デモ以外にも社会に既存の就活がいかにおかしいかを訴える手段はあるのではないか」と
いう質問がデモ実に毎年、毎年来るようですが、私はそれはドキュメンタリー映画がだと
思っています。
メディアを刺激しつつ、報道されない、されにくい就活の現状を伝えるのにはモッテコイの手段です。
11月23日のデモには、様々な参加の仕方があり、参加者が表現者として主体的に参加することが
重要だと思います。是非一緒にデモをしましょう!!若者は怒っているぞ!!

東洋鍋子

何を「ぶっこわす」べきなのか?ー別の仕方で思考することー

【あらかじめの注意】
私は話も長ければ、文章も長い。その点お許しいただきたい。ただ本気で考えたいという人には是非読んで欲しい。前提としてこの文章を通じて私は個人の自助努力の次元や「就活」の方法論は問題にしていない。また、こういう制度にすればいいと言うことも書いていない。つまり、「問題は個人のせいなのか、社会のせいなのか、何を変えたらいいのか」というレベルでは論じていない。ここでは、あくまで「何が問題となっているのか」を「就活ぶっこわせデモ」の個人的な分析から提起し、そのために私は何がしたいのかということを「主張」している。「答え」ではなく「問い」を発したいと考えている。それを考慮していただいた上で読んでもらい、そして建設的な批判をもらえればうれしく思う。

※「主張」カテゴリーに分類される文章は実行委員一人一人の「就活ぶっこわせデモ」に対する思いや意見である。実行委員会の総意ではないことにご注意いただきたい。

※「追記」しました!下記の「続きを読む」からご覧下さい。

【本文】
「就活ぶっこわせデモ」がここ最近センセーションを巻き起こしている。Twitterの「就活ぶっこわせデモ」アカウントには非難・罵倒・意見・賛同などたくさんのリプライが来ており、「デモ 就活」でタイムラインを検索すれば、分単位で情報が流れている。これは最初の爆発的に拡散されたツイートとニコニコニュースや2ちゃんねるに取り上げられたことが大きな要因であるようだ。

ニコニコニュース
2ちゃんねる

しかしながら、なぜたかだか数十人の学生が「就活ぶっこわせ」を掲げ、デモをすると表明しただけでこれほどセンセーショナルになるのか。実のところセンセーションを巻き起こした段階では「就活ぶっこわせデモ」に関する情報はそれほど多くなかった。にもかかわらずこれほどの反響読んだからにはその現状分析が必要である。その上で、「就活ぶっこわせ」と言ったとき、何を「ぶっこわす」べきなのか、ということについての私の意見を書いてみようと思う。

まず、多くの反応は「就活ぶっこわせデモ」というこの一言、あるいはそれを含んだ1ツイートを対象にしていたことがわかる。もちろん、情報が多くない中でそこに非難が集まるのは当然ではあるし、インターネットの「炎上」と呼ばれる現象の構造からしても多くの情報が必要でないことは明らかである(インターネットにおける匿名の審判性について本稿では多くを語るつもりはない)。しかし、問題はなぜ「就活」と「ぶっこわせ」、そして「デモ」という単語が「炎上」の対象となるかということだ。

面白い事実がある。「就活ぶっこわせデモ」の実行委員会は「就活ぶっこわせ」という名称以前から活動しており、単に「就活デモ」と名乗っていたときにはほとんど反応がなかったということだ。したがって、「就活デモ」の実質はさほど問題ではない。つまり、「就活ぶっこわせデモ」という名称に何らかの構造が隠されていると推察できる。

ここから二つのことが考えられる。すなわち、第一に「就活」という概念は何らかの道徳規範と強力に結びついており、またそれ自体規範形成の作用を持っているということだ。多くの人が持つその道徳規範が破られた場合には「社会」によって裁かれねばならないとされる。第二に、「ぶっこわせ」と「デモ」という言葉はそうした規範を逸脱する社会的な言説であり、行為であるという観念が日本社会を覆っているということだ。規範としての「就活」概念が「就活ぶっこわせ」という名称によって侵犯されたため、人々はネット空間において「社会」を形成し、逸脱者、侵犯者を制裁するために過剰に反応した。もし仮に「就活」概念が規範と無関係、あるいは重要な規範でないとするなら、それほど過剰反応する必要はないだろう。

では「就活」と結びつく道徳規範とはいかなるものであろうか。大きく分けて二つの規範が考えられる。一つには、多くの人が「大人」になるために通らざるを得ない社会的儀式(イニシエーション)が存在し、それを受け入れなければならないという規範である。もう一つには、「労働」とは賛美されるものであり、文句を言わずに励むことこそが美徳であるという規範だ。言い換えれば、「就活」概念は「大人」に向かう儀式プロセスとしての規範性及び、「労働は美徳である」というアイデンティティの規範性と結びついているということである。このことは「デモする暇があるなら就活しろよ」とか「そんなことせずに働け」という非難からもよくわかる。

また、「就活」概念そのものも規範であり、規範形成として作用するものだ。どのような規範かと言えば、どれほど提示されたモデルに自己のアイデンティティを近づけることができるかという規範である。もちろん、「就活なんて茶番だよ」と心の中で思っている人も多いだろう。しかし、この「茶番」とは「わかっていながらもやらねばならない」から「茶番」であり、かつみんなが「茶番」であることを知りつつも演じることで「茶番」は確固たる体制としての地位を得ることができるのだ。意識的にしろ、無意識的にしろ、モデルや規範に対する従順さが磨かれる。事実、「就活」を行う学生の意識はそれを終える前と後を比べると、後の方が圧倒的に「仕事に関する諦め感」が強まるという。要は、「就活」システムの規範形成としての意義とは、「就活」を単一の個人のアイデンティティとして埋め込み、「茶番」を「茶番」として諦める身体を増産することである。

では次に、「ぶっこわせ」と「デモ」という言葉が規範を逸脱するとはどういうことか。何を意味するのか。これには「政治的想像力」の問題が絡んでくる。少し考えてみよう。

一般的にいって、確かに「ぶっこわせ」というラディカルな言葉には規範に対して破壊的に働きかける作用を持つ。だが、それは実際に物理的・制度的な何かを破壊する行為とは明確に区別される。ごく単純な推論をしてみれば、「就活をぶっこわせ!」と言ったときに、企業の説明会に角棒を持って侵入して暴れたり、あらゆる就業の仕組みを立法権の行使によって制度的に廃止したりすることを意味しない。もっと簡単な例を持ってこよう。かつて自民党の小泉首相が「自民党をぶっこわす!」と言って党内改革に着手したが、これによって自民党はなくなっただろうか。答えは言うまでもない。要するに、「ぶっこわせ」というのは政治的・戦略的スローガンなのである(実際これだけ多くの人が関心を持ったのだからその効果は抜群であったろう)。

しかし、多くの人が「就活ぶっこわせ」と聞いたとたん、「拒否」反応を示した理由は、一つには「就活をぶっこわせ」という言葉の政治性を理解する「政治的想像力」が欠如していたことである。もう一つには、それが欠如してしまうほどに、「就活」アイデンティティが人々の思考・意識の中に強力な根を張り巡らされているということがある。これは本来「就活ぶっこわせ」という言葉は「就活」概念への直接攻撃なのではあるが、「就活」概念がアイデンティティとして内面化されている人ほど、自分という個人への攻撃と錯覚してしまうということだ。そして攻撃された(と勘違いした)自己を防衛するために「社会」というロジックを持ち出して反撃するのである。

では「デモ」という言葉はどうか。今回の事例では「デモ」に対して「ぶっこわせ」というラディカルな言葉が結びついたことによる反応もあったが(例えば「デモは支持するけど、名前は変えた方がいいんじゃないの」といった意見)、それ以上に「デモ」それ自体に対するある種の社会的な嫌悪感も見て取れる。例えば、「デモなんてやっても意味はない、変わらない」「デモは迷惑だ」「デモなんて恥ずかしい」等々。もっとも現代において「デモ」そのものの存在を正面から否定する人は少ないだろう。多くの人はわずかながらに受けた「民主主義教育」なるものによって「デモ」が憲法によって保障されていることは知識として了解している。

だが体験的に「デモ」を知らない、あるいはちらっと見たことがあるだけにすぎないという人が大半であろう(3.11以後徐々にその風潮は変わりつつあるが)。つまり、デモが実質的に遂行できる身体がないということだ(例えば、武器を知っていても、手にしたことがない人、訓練されてない人が戦争で十分に戦えないのと同様である)。

また、体験的に少しは知っている人も含めて、現在支配的な観念は、デモとは何かを変えるための「手段」である、というものだ。これは正しいとも言えるし、一方で間違っているとも言える。デモを「手段」とだけ見なす観念は「デモの目的は?」「その主張内容は合理的か?」「もっと明確にすべきだ」「ちゃんと組織しろ」「代案を出せ」といった言説を生み出す。しかし、「目的」「合理的」「明確」「組織」というのはあまりに一元的な運動のとらえ方であるし、明らかに懐古的で固定的な政治思考に基づいた発想である。2011年に世界中で起きた運動(「アラブの春」「OCCUPY WALL STREET」等)をみても、「デモ=合理的な手段」という構図だけではとらえがたい。

「デモ=手段」に過ぎないという発想は、デモを真剣に捉える姿勢というよりかは、むしろデモを予防的に抑止しようとする姿勢である。先に挙げたような、一見デモのことを真面目に考え批判しているように見える言説は、実はその言説の自己イメージとは反対に、「失笑」や「冷笑」に基づいた抑圧的な言説なのである。例えば、「代替案(対案)を出せ。それができなきゃ努力不足ではないか」という人がいる。しかし、仮にそれをすべての人に当てはめたら、デモの参加者はみんな学者のように理論武装しなければいけなくなるだろう。

もちろん、デモが「手段」であり「大義」を持つことは前提として存在する。もちろん、「私のために反乱せよ、万人の最終的な解放はそこにかかっている」とは誰も言えない。しかし、かといって「デモには意味がない」と他者に対してシニカルになると権利もない。そこには少なくとも圧倒的な事実あるのである。すなわち、「今の状態は少なからずおかしい」という意識が存在するということだ。したがって、デモを「目的」と「手段」の二項対立図式は、一見寛容に見せかけた、抑圧的で不寛容な態度なのである。

さて、長くなってしまった。そろそろまとめよう。この文章のタイトルである最初の問い、何を「ぶっこわす」べきなのか?そしてなぜデモをするのか、について私なりの意見を述べよう。

これまで述べてきたように「就活」とはある一つの就業に関する形態に特権的に与えられた名称であり、作られた規範的概念である(それを日本式便乗型産業が利用している。例:就活塾)。そしてシステムはその「概念」が人々の思考・意識の隅々にまで根を張り巡らせることによって、作動・機能する。この特権的に構築されたシステムはこれまでのところかろうじて機能してきたが、現状はそれを利用する企業(一部)や便乗型産業が利益を得るための道具と化し、一部の「超有能」人間と規格化された従順な労働者を増殖させるとともに、必然的に一定数淘汰される人間を「承認」も「保障」もないまま闇の中に放置し続けるという構造の悪循環を加速させている。この問題は単に大学生だけの問題というより、高校生、院生、ニート、フリーター、既卒者、非正規労働者、新入社員、若手教員、障害者、過労死するまで働かされる会社員などといった範囲まで射程に入れた全社会的な問題として出現しているのである。悪循環の中で生成されていくものは極度の「自己責任」論だけであり、一方で奪われるのは連帯と共生の他者感覚、他者とのつながりの中での自己決定権(「自己責任」と「自己決定」は全く反対のものである)である。様々な抑圧構造があったにせよ、「日本の古き良き」点さえもが「自己責任」によって侵食されているといってもいい。

こうした悪循環を別方向にずらしていくにはどうしたらよいか?思い出してみよう。システムを作動させるのは一つに思考・意識の中に張り巡らされた「就活」概念であると言った。だとすれば、まさに「ぶっこわす」のはこの特権化された、規範としての「就活」概念なのではないか?つまり、物理的・制度的「就活」システムの総体を変革するには、まずもってこの「就活」アイデンティティを、「就活」概念にまみれた思考を「ぶっこわす」必要があるということだ。「就活ぶっこわせデモ」の名前の意義はここにあると考える。

「就活をぶっこわす」ためのより実際的な過程は、制度的・非制度的な方法を用いた脱・構築を行い、「就活」概念を相対化、あるいは別のものへと解体することである。一言で言えば「脱・就活」の志向・思考を目指すということだ。そうした点こそ専門家や政治家、官僚はもとより、全社会的な関心を持って考えられるべき事柄である。この具体例を全部列挙することなどとうていできないし(できるとしたら何も問題は起こっていない)、それをするのは本稿の目的ではないが、あえて例を挙げるとすれば、制度的なもので言えば、ギャップイヤーの設置、新卒一括採用の改善など、非制度的なもので言えば、就業者向けの自発的で実践的な労働法研究サークルの結成などがあげられよう。

ただし、常に念頭に置く必要があるのは、こうした制度・非制度の構築には運動が並行する必要があるということだ。運動なしでの制度論は「御上の改革」に過ぎず、悪循環を繰り返すだけである。議論する俎上がないままでは、意識高い学生の知的談義程度でとどまってしまうだろう。デモは少なからず人々に応答する責任を与え、議論へ向かう起動力を持つ。だから、まずは「就活ぶっこわせ!」と叫んだらいい。そこでのつながりから制度的なものも、制度的ではない新しいものも生まれるのだから。

最後に「デモ」に関して述べておこう。ではなぜデモをするのか、それで世界は変わるのか?気を付けねばならないのは、こうした問いの建て方はそれ自体誤った結論を導く可能性がある。デモや運動は「意味がある・ない」「役に立つ・立たない」「変わる・変わらない」の二元論に簡単に還元されてしまう(まさにその思考が問題なのだ!)。だが、どこか遠くの「未来」にある理想の社会、あるいはユートピアを目指して変革の意志を持つ時代は終わった。むしろ、変革は常に、今ある「現在」を絶えず別の方向にズラしながら、拡張することによって行われると捉えた方がよい。その闘いの中で「自由」を「民主主義」の傾向を最も鋭くすることが「変革」に他ならない。

また、次のことも重要である。変革の対象は他者(あるいは大きな「世界」)ではない、ということだ。言い換えれば他者を変えることを運動の一義的な目的に据えてはならない。なぜなら、実際に他者が、世界が変わったかどうかなどは比較した傾向の中で把握できるだけであって、正確に計ることのできるものではないからだ。重要なのは現在の「おかしさ」からまず自己に対して働きかけ、ある既存のものへの拒否とそこからの自立/自律を促し、運動の中で実践することによって自己を変革することである。他者の変革は自己の変革の副次的、間接的作用として現れるだけである(もちろん、これは理念型である)。「自己が変わりうる」と目の当たりにしたときから、すなわち別の思考で生きることができると感じたときから、そしてそうした自己の集合が現れるときから、変革は始まるのだ。

以上、「就活ぶっこわせデモ」の分析とそれへの私の思いを書き綴った。意見があれば建設的な批判をお願いしたい(なお、より個人的なことが聞きたい場合にはTwitter等でどうぞ。)


杉本宙矢(Twitter: @uchunohate )

早稲田大学文学部四年


↓コメントや批判を受けて「追記」しました。

続きを読む

「就活ぶっこわせデモ」の理念

【就活ぶっこわせデモ理念】 

私達は現状の就活に怒っております。不満や苦しみを覚えております。なぜ在学中にも関わらず、勉強をおろそかにしてまでも企業研究や会社巡りに多くの時間と労力を割かなければならないのでしょうか?新卒一括採用といった現状の就活システムは今の日本の雇用状態にとって果たして適切なのでしょうか?就活にまつわる様々なしきたりや慣習に、合理的な理由はあるのでしょうか?私達はこれら不条理な就活システムと、「自己責任」の名の下に不景気のひずみを若者に押しつける社会風潮に対し、率直な怒りと疑問をぶつけるためデモを行います。


これは「内定くれよデモ」ではありません。私たちは、個人的な不遇不満を社会の責任とすることで、「可哀そうな我々に職をよこせ」と要求しているのではありません。私達はあくまで社会問題としての就活問題に対し異議を申し立てているのです。受け身ではなく主体的な気持ちから行動を起こしたのです。実行委員の中にはあえて就活をしないという道をえらんだ者もいることをここに付け加えておきます。


 では私たちがデモを行う目的とは何か。私たちは現状の就活に対する怒りや疑問を率直に訴えることで、「ここに問題がある」ということを社会に知ってもらいたいのです。デモを通じて、財界・政界・有識者たちに限らず、世間に幅広くこの問題を議論してもらうことを望んでいるのであります。そのため、私たちはあえて統一の主張や政策案などを持ちません。それは異なる考えや主張を持つ人々が、ひとつに集って声を上げるというデモ本来の力を弱めてしまうからです。まずは自ら声を上げること、それが今回のデモの目的なのです。
 

私たちは今回の「就活ぶっこわせデモ」が、皆さんとより良い就活、より良い社会について一緒に考えることができるきっかけになればと切に願っております。




早稲田大学 社会科学部 5年

小沼 克之

就活ぶっこわせデモ実行委員長

「就活」の民族誌(すずきおるず)

 この国では毎年、主に20代前半の青年の多くが参加する大規模な儀式が行われる。
 この儀式の参加者は、多くの準備を行わなくてはならない。まず、「マニュアル本」と呼ばれる経典を手に入れて、儀式の際に必要となる口上や動作を覚える必要がある。さらに、自分の経歴や性格などを書き出し、それらを経典に記されている「求められる人間像」と比較して自己批判し、自己を改革しようとする「自己分析」も、並行して行われることが多い。一部の「意識が高い」と称される人々は、「セミナー」や「インターンシップ」という儀式の事前練習に参加することもある。
 これらの準備を経て、いよいよ本格的に儀式が始まる。最初に、儀式への参加者は「エントリーシート」というものを書かなくてはならない。これは、参加者が自らの経歴や経験を誇張や美化して書くものである。「エントリーシート」の記入と前後して、参加者は「説明会」という集会に出席する。「説明会」では、「スーツ」という動きづらい儀礼用の衣服を着用しなくてはならない。黒の「スーツ」を着た人々が整然と並んでいる様子は極めて壮観である。「説明会」では、主宰者の話に熱心に聞き入っているフリが求められる。さらに、質問を求められた際には積極的に手を挙げて、周囲の人間に頭が良いと思われるような発言をしなくてはならない。
 「エントリーシート」が神意に沿うものと認められると、ついに儀式の主宰者と対話することが許される。この対話の形式には、様々なものが認められる。いくつか例を挙げると、参加者一人に対して複数人の主宰者が応対し、主宰者は参加者に厳しい態度で臨み、意地の悪い発言を繰り返し、揚げ足を取るなどして参加者のストレス耐性を見る「圧迫面接」、複数人の参加者がグループを組み、表面上は参加者同士で友好関係を築いていると見せかけながら、相手の参加者を蹴落とさなくてはならない「グループ・ディスカッション」などがある。
 これらの一連の儀式で認められた人々のみが、「社会人」として滅私奉公することを許されるのである。
 この儀式の名は、「就活」という。

 「就活」は今日、絶対的なものとして立ち現れている。「就活」をしても「勝ち組」になれる、すなわち「正社員」になれるとは限らないが、「就活」をしなければ「フリーター」、すなわち「負け組」確定であると。ここにおいては、本来は個々人の多様な価値観が反映されるべき働き方の問題は、勝ち組・負け組の二元論に収斂される。そして、「就活」はこの二元論を残酷なまでに体現している。
 この二元論的イデオロギーは、「普通」を志向するこの国の大衆心理や、「世間」や「迷惑」といった言葉が象徴するこの国の抑圧性に乗っかり、今や圧倒的な暴力性を示している。何が暴力的なのか。「他の選択肢が存在しない」こと自体が暴力的なのである。フリーターとして生きる人々が、「負け組」意識を強いられ、「負け組」として生きることを強いられている、すなわち勝ち組・負け組二元論の中で生きることを余儀なくされている、このことを暴力と言わずして何と言う。この問題の原因の一つは、明らかに「就活」にある。「就活」において学生は「勝ち組」になることを求められた結果、「勝ち組」となった学生は「負け組」を嗤い、「負け組」となった学生は諦めることを強いられる。
 「就活」を相対化せよ。「就活」の外部を希求せよ。

 ある事象を相対化するとき、前提として「その事象が事象として認識されている」必要がある。キリスト教が浸透していた中世ヨーロッパにおいて、キリスト教は絶対的なものであり、相対化することは非常に難しかっただろう。現代においても、フリーターの方の多くは「負け組」であることを受け入れ、勝ち組・負け組二元論に疑問を持たない。学生も同様だろう。
 事象として認識させるには、どうすればよいか。「異質なもの」として突きつけるに限る。第二次大戦後の植民地独立運動も、男女同権運動も、最初は「異質なもの」として突きつけられた。しかし、今ではこれらに対して大っぴらに反対する人は稀だろう。
 幸いにして、デモはこの国では「異質なもの」と見られる傾向がある。上等。その異質性をも以って、「異質なもの」を突きつけてくれよう。「就活ぶっこわせデモ」という名称についても同様である。挑発的な名称が功を奏したか、Twitterをはじめとするインターネット上で見る限り、既にある程度の規模の議論が発生している。「就活」を事象として、議論の対象として認識させるという目的は、それなりに達成されている。
 「異質なもの」を見よ。

 「就活ぶっこわせデモ」実行委員会は、問題意識(就活に対する疑義)と手段(デモ)においてのみ、一致を見ている集団である。例えば11月1日のヤナウェーブ研氏の書かれた記事と拙文を比べても、意見の相違があることは明白であろう。
 「就活ぶっこわせデモ」は、意見の違いを排除しない。就活に対して疑問があり、デモという手段を取ることに賛同される方は、ぜひ実行委員会に、あるいはデモに参加していただきたい。就活には疑問を感じるが、デモという手段には反対される方も、ぜひ独自の活動を起こされることを切に望んで、筆を置かせていただく。

すずきおるず
@suzukiorz on Twitter
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プロフィール

「就活ぶっこわせデモ」実行委員会 (就活デモ@東京)

Author:「就活ぶっこわせデモ」実行委員会 (就活デモ@東京)
 こちらは2011年「就活ぶっこわせデモ」のブログです。私たちは2011年11月23日(水・祝)、勤労感謝の日に「就活ぶっこわせデモ」を実施致しました。当日はたくさんの方々にご参加頂き誠にありがとうございました。実行委員一同より厚く御礼申し上げます。
 このデモを通じてより多くの方々に就活を巡る問題について考え議論する機会、あるいは就活に疑問を持つ方々が改めて自分の意見を主張する場を提供できたのであれば、それだけでもこのデモを行った価値はあったものと私たち実行委員は考えております。

 さて、2011年市井の皆様を度々お騒がせしてきた「就活ぶっこわせデモ」ですが、2012年1月18日の対談イベントを最後の活動とし、我々就活ぶっこわせデモ実行委員はひとまず解散致します。ご協力下さった関係者各位の皆様方には、この場を借りて厚くお礼申しあげます。本当にありがとうございました。
 今後就活問題に関する活動は「就活生組合」がその任を担っていく予定でございます。よって今後の活動ついてのご質問、及び取材依頼等のお問い合わせは、「就活生組合」方にお願い致します。


就活生組合

http://www.shukatsu-union.org/

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