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「就活」の民族誌(すずきおるず)

 この国では毎年、主に20代前半の青年の多くが参加する大規模な儀式が行われる。
 この儀式の参加者は、多くの準備を行わなくてはならない。まず、「マニュアル本」と呼ばれる経典を手に入れて、儀式の際に必要となる口上や動作を覚える必要がある。さらに、自分の経歴や性格などを書き出し、それらを経典に記されている「求められる人間像」と比較して自己批判し、自己を改革しようとする「自己分析」も、並行して行われることが多い。一部の「意識が高い」と称される人々は、「セミナー」や「インターンシップ」という儀式の事前練習に参加することもある。
 これらの準備を経て、いよいよ本格的に儀式が始まる。最初に、儀式への参加者は「エントリーシート」というものを書かなくてはならない。これは、参加者が自らの経歴や経験を誇張や美化して書くものである。「エントリーシート」の記入と前後して、参加者は「説明会」という集会に出席する。「説明会」では、「スーツ」という動きづらい儀礼用の衣服を着用しなくてはならない。黒の「スーツ」を着た人々が整然と並んでいる様子は極めて壮観である。「説明会」では、主宰者の話に熱心に聞き入っているフリが求められる。さらに、質問を求められた際には積極的に手を挙げて、周囲の人間に頭が良いと思われるような発言をしなくてはならない。
 「エントリーシート」が神意に沿うものと認められると、ついに儀式の主宰者と対話することが許される。この対話の形式には、様々なものが認められる。いくつか例を挙げると、参加者一人に対して複数人の主宰者が応対し、主宰者は参加者に厳しい態度で臨み、意地の悪い発言を繰り返し、揚げ足を取るなどして参加者のストレス耐性を見る「圧迫面接」、複数人の参加者がグループを組み、表面上は参加者同士で友好関係を築いていると見せかけながら、相手の参加者を蹴落とさなくてはならない「グループ・ディスカッション」などがある。
 これらの一連の儀式で認められた人々のみが、「社会人」として滅私奉公することを許されるのである。
 この儀式の名は、「就活」という。

 「就活」は今日、絶対的なものとして立ち現れている。「就活」をしても「勝ち組」になれる、すなわち「正社員」になれるとは限らないが、「就活」をしなければ「フリーター」、すなわち「負け組」確定であると。ここにおいては、本来は個々人の多様な価値観が反映されるべき働き方の問題は、勝ち組・負け組の二元論に収斂される。そして、「就活」はこの二元論を残酷なまでに体現している。
 この二元論的イデオロギーは、「普通」を志向するこの国の大衆心理や、「世間」や「迷惑」といった言葉が象徴するこの国の抑圧性に乗っかり、今や圧倒的な暴力性を示している。何が暴力的なのか。「他の選択肢が存在しない」こと自体が暴力的なのである。フリーターとして生きる人々が、「負け組」意識を強いられ、「負け組」として生きることを強いられている、すなわち勝ち組・負け組二元論の中で生きることを余儀なくされている、このことを暴力と言わずして何と言う。この問題の原因の一つは、明らかに「就活」にある。「就活」において学生は「勝ち組」になることを求められた結果、「勝ち組」となった学生は「負け組」を嗤い、「負け組」となった学生は諦めることを強いられる。
 「就活」を相対化せよ。「就活」の外部を希求せよ。

 ある事象を相対化するとき、前提として「その事象が事象として認識されている」必要がある。キリスト教が浸透していた中世ヨーロッパにおいて、キリスト教は絶対的なものであり、相対化することは非常に難しかっただろう。現代においても、フリーターの方の多くは「負け組」であることを受け入れ、勝ち組・負け組二元論に疑問を持たない。学生も同様だろう。
 事象として認識させるには、どうすればよいか。「異質なもの」として突きつけるに限る。第二次大戦後の植民地独立運動も、男女同権運動も、最初は「異質なもの」として突きつけられた。しかし、今ではこれらに対して大っぴらに反対する人は稀だろう。
 幸いにして、デモはこの国では「異質なもの」と見られる傾向がある。上等。その異質性をも以って、「異質なもの」を突きつけてくれよう。「就活ぶっこわせデモ」という名称についても同様である。挑発的な名称が功を奏したか、Twitterをはじめとするインターネット上で見る限り、既にある程度の規模の議論が発生している。「就活」を事象として、議論の対象として認識させるという目的は、それなりに達成されている。
 「異質なもの」を見よ。

 「就活ぶっこわせデモ」実行委員会は、問題意識(就活に対する疑義)と手段(デモ)においてのみ、一致を見ている集団である。例えば11月1日のヤナウェーブ研氏の書かれた記事と拙文を比べても、意見の相違があることは明白であろう。
 「就活ぶっこわせデモ」は、意見の違いを排除しない。就活に対して疑問があり、デモという手段を取ることに賛同される方は、ぜひ実行委員会に、あるいはデモに参加していただきたい。就活には疑問を感じるが、デモという手段には反対される方も、ぜひ独自の活動を起こされることを切に望んで、筆を置かせていただく。

すずきおるず
@suzukiorz on Twitter

ご意見・ご批判に対する個人的な応答

 たくさんのご意見・ご批判を賜り、非常に嬉しく思っております。
 本来は皆様のコメントそれぞれに応答すべきなのですが、時間的な制約上、こちらでまとめて応答させていただきます。
 なお、以下はあくまで私個人の見解であることをご了承ください。

・就活の描写について
 「就活の描き方が悪意に満ちており、客観性に欠ける」とのご批判がいくつかございました。
 まず、意図的に悪意を持って就活を描写したことは事実です。しかし、客観性という点については、いささかの反論がございます。
 客観性というものは、存在しえないと思っております。文章であれ他の表現であれ、すべての表現には表現者が存在します。そして、どれほど客観的であろうとしても、表現者の主観は表現そのものに紛れ込んでしまうものでしょう。
 私は客観性は否定しますが、しかし異なる主観を提示することで、主観をある程度相対化することは可能だと思っています。本文の表現を用いれば、「異質なものを突きつける」ことで、異質なものに対する想像力を喚起させることはできるのではないでしょうか。
 今日、就活をめぐる言説は多くが就活を肯定し、就活制度の内部からなされたものです。これを語の一般的な意味でも客観的と呼ぶことは不可能ではないでしょうか。就活制度を相対化するために、あえて「異質なもの」を提示しようと思い、拙文を書かせていただきました。
 なお、「就活を宗教儀式に例えている」ことに不快感をお持ちになった方もおられるようですが、このような方はむしろ、宗教に対して偏見をお持ちなのではないでしょうか。「日本人は無宗教だ」とよく言われますが、日本においては「ちゃんと働く」「普通に生きる」という観念が、無自覚に宗教として機能している面があるのではないかと思います。こういった点についても考えていただこうと思い、就活を宗教儀式になぞらえた次第です。

・フリーター・負け組について
 「フリーターを負け組と呼ぶのは失礼だ」とのご批判もいただきました。
 これについては誠にそのとおりです。不快に思われた方には、本当に申し訳ありません。
 しかし、あえてこのような言葉使いをしたのは、当のフリーター・非正規労働者の皆さん自身が、自らを負け組だと感じている面があり、その点に注意を向けていただきたかったためです。
 この問題はやはり、正規労働者と非正規労働者の待遇の差に起因すると思います。そして、正規労働者と非正規労働者を分ける分岐点の一つは、就活ではないでしょうか。
 「ちゃんと就活を頑張れば就職できる」という意見もございましたが、そもそも努力というものは測定できません。結果から見て、努力したか否かを判定する他ないのです。苦労して就活に成功し就職された方は、本当に努力されたものと思います。そのことについては、個人的に敬服いたします。しかし、そのような方が「就職できないのは努力が足りないからだ」とおっしゃられるとき、そこでは努力しているのに就職できない人々は頭ごなしに否定され、正規労働者と非正規労働者を厳然と分かつ就活構造は温存・再生産されているのです。こういったことについても考えていただきたく思い、勝ち組・負け組という言葉を使わせていただきました。

・デモの有効性について
 「デモで結果が出なければどうするのか」という質問も複数ございました。
 あくまで私見ですが、世の中というものは、そう簡単に変わるものではないと思っています。しかし、それでも大きな変化がゆっくりと起こることはあります。
 私がイメージしているのは、日本において1960~70年代に盛んであった全共闘運動です。一般的には若者が暴れただけとされる全共闘運動ですが、しかしそこでは男女差別や被差別部落、あるいはマイノリティ差別の問題などが提起されました。当時はこれらの差別は非常にありふれたものだったようです。その後、全共闘運動が衰退し、そのメンバーだった人間も多くは就職していきます。しかし、職を得た人間でも、差別反対の市民活動を行ったり、あるいは職業活動の中で全共闘的な主張を表現していく者はいました。その結果か、現在では差別はいけないという風潮は非常に一般的です(詳しくはスガ秀実『1968年』を参照)。ここから分かるように、いわゆる「運動」的な活動のみを続けるだけが、社会を変える手段ではないのでしょう。
 デモ実行委員の考えは様々であり、一概には言えません。しかし、世の中を変えようという思いは、人一倍強く持っていると思います。おそらく、職を得てもそれぞれ何らかの形で問題に関わっていくのではないでしょうか。
 以上を踏まえて、やはりデモというのはきっかけであるのです。就活に疑問はあるが、どうしていいか分からないという人たちに、同じように疑問を持っている人間がいるということを示す。社会問題として認知していない人たちに、社会問題として示す。まず「運動」を作る。「運動」が衰退・解体してしまっても、残るものは必ずあると、私は考えています。

・具体的な目的の不在について
 最も多くいただいた批判が、「デモをする具体的な目的が見えない」というものでしょう。
 何度も申している通り、就活ぶっこわせデモとしての統一された主張はありません。これは、まず問題提起を行い、就活について皆さんに考えていただくというデモ実行委員会の方針によるものでありますし、またあえて具体的な要求を掲げないことによって多くの参加者に来ていただこうという戦略上の意図によるものでもあります。この戦略については、福島第一原発事故以降に盛んに行われた反原発デモにおいて、一貫した理論の下で具体的な要求を掲げたデモほど人が集まらず、逆に「反原発」という一点のみにて集結することを求め、統一された主張や要求を持たなかったデモの方が多くの参加者を集めたという事例に基づくものです。
 しかし、就活ぶっこわせデモが統一された具体的な要求を持たないということは、その参加者それぞれが具体的な要求を持っていないということを必ずしも意味しません。以下に、私の考えと要求をおおまかに記させていただきます。
 まず現状認識ですが、現代では様々な価値観が経済的な価値観に回収されていっていると考えています。大学での研究は、企業や国から研究費を取れるものが優先されもてはやされています。教育や福祉は、無料であるいは安く受けられるものであったのが、今や高いお金を払う必要があります。文学も芸術も売れないと立ち行きません。本来、学問や文学や芸術はそれ独自の価値観を備えた自立した領域であるべきですが、これらの領域においても経済的な価値観が浸透し、それぞれの価値観をその下に従えてしまっているのです。もはや、政治ですら経済の下にあると言えるでしょう。
 この経済至上主義、一般には新自由主義とよばれる風潮に私は反対します。繰り返しになりますが、絶対的なものはその絶対性ゆえに悪です。すべてが金額に換算されて評価される世の中は、非常に生きづらいものではないでしょうか。私の主張は、多様な価値観を並び立たせ、社会を自立した諸領域の緊張関係の中に置くべきだというものです。学問や文学や芸術などが経済に回収されない自前の価値観を有した自立した領域として存在し、例えば学問の立場から政治や経済を批判したり、文学の立場から政治や学問に批判を加えるというような、諸領域間の緊張のある関係を構築するのが、私の目指すところです。
 就活に対する私の立ち位置も、以上の観点から導きだされます。就活は、経済至上主義的な社会構造の一角と言えるでしょう。そこでは、経済主体としての企業が生産手段としての人材を選別し、購入します。経済至上主義はここにおいて端的に体現されています。そして、大学が就活に合わせて再編されるということは、大学もまた経済至上主義に回収されるということであり、そしてすでにかなりの程度回収されてしまっているのです。
 以上の見地から、私は学問の府である大学において学問をする権利を守るために、在学中の就職活動を余儀なくさせる就活制度の見直しを訴え、企業は採用活動を在学生に対して行わないことを求めて、就活ぶっこわせデモに参加するものであります。

・文章力がない。
 ごめんなさい。

・お前厨二病だろ。
 うん。

2011年11月5日
すずきおるず
Comment
http://www.youtube.com/watch?v=uKyUZ3qmnQs

これの視聴を再度してください。
就活エリート=成功者じゃないですよ。
就活ぶっこわしても意味無いです。
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※1 まみさんへ
記事本文をもう一度よく読んでみてください。
筆者はまさに「就活エリート=成功者」ではないにも関わらず、
勝ち組・負け組という二元論的価値観を生む心理的要因となっている、
「就活」という社会構造を「ぶっこわせ」と書いているのだと思います。

またURL載せて頂いた動画ですが、失礼ながら貴殿ももう一度動画を視聴してみることをお勧めします。
25分くらいから、同じような話が出ていると思います。
だ か らwwwwww
デモが異質なんじゃないのって何回言われればwwwww
もうわざとだろwwwwwww

『就活に疑問』という抽象的なきっかけだけでデモやるように見えたから批判されるの。
って、誰に言えば理解してくれるの?
抽象的なのはデモという手段に賛同とか意見の食い違いがあっても排除しない方針が原因なのがようやくわかった。
わかったから、デモが悪と思われがちを言うのはもうやめて。
型に嵌められるの嫌なのに、なんで自分ら以外を嵌めようとするのw
批判されるのは出だしがアレだったからだからです。
あ、だから自分の書いた事と比較対象に挙げないのか。
おーい、ガンジー、保守革命家(だっけ?)、遠回しにバカにされてるぞ〜!

わざわざ宗教を連想させる書き方してライターぶってる感があるけど厨二病みたいだね(・∀・)
システム云々はよく解りませんが、職が欲しいのであれば最初から資格が取れる大学に行けば良かったのではないですか?単位や就職に有利なサークルを選ぶなど努力は認めますが、ご自分では何か資格を取られるなどはしたのでしょうか?何も一流企業に入社することばかりが就活ではない気がしますが…
文章のノリが高校や大学の部内誌やらサークル会報やらと同じレベル。
ふざけてるのか茶化してるつもりなのかしらないが、
真剣さはまるで伝わらない。

ああ所詮そんな程度なのねって印象しか受けないと思うよ。
なんというかただただ恥ずかしいです。
私は事故による障害を持ち、就活を行う事が出来ませんでした。
しかし、学生時代からどうしてもやりたい仕事があったため。死に物狂いでリハビリをし、就活に参加しました。
大変な事は多くありましたが、目的のためならば努力は厭わなかったですし。その時の努力があったからこそ、いまの自分があると思います。
人それぞれ事情はあるでしょうし、そのフリーター時代を負け組呼ばわりされるのは心外です。

取り巻く環境は違えど、与えられた時間はみんな同じだと思います。その中で何かに打ち込んだ人もいれば、無為に過ごした人もいる。その結果が現れて居るだけではないのかと思います。
スーツが辛いなんて、目的の前では瑣末な事ではないでしょうか。

実行委員の皆様の文章を見ると、そう感じずにはいられませんでした。長文失礼します。

どれだけ釣れるか試してるんでしょ。
がんばって煽動しろよー。楽しみにしてます。
就活をしなかったら確かに負け組確定だが、自ら選んで負け組になったような奴に同情する必要はない。
勝ち組がいなければ負け組もいない、しかし勝ち負けの線引きをしたがるのは勝ち組ではないかと思う。
それは優越感からくる。
人間として当然の気持ちを棄てろ、考えるなという事だろうか。
相対化せよ、とは平等に職を与えよという事だろうか。

言いたい事がよくわからない。
言葉を具象化出来ないものか。
わからないならそれでも構わないスタンスなのか。
言いたい事が伝わらない主張に何の意味があるのだろう。
自己満足か。

勝手な解釈で言わせてもらうと、平等に職を与えたところで次は年収や社名などジャンルを変えて勝ち組を名乗る人間が現れるだけである。
負け組とされる世界の中でも、あいつよりはマシだという気持ちが生まれないわけがない。
就活に於ける勝ち組負け組の相対化だけを望むのは、身勝手な主張もいいところである。
就活という小さな枠だけで考えているのが見てとれ、視野が狭い社会経験のない学生らしさが出ている。
これで社会人だったら驚きだ。

選択肢が少ないと感じるなら、例えば他にどのような選択肢があるべきと考えているのか。
就職は自分に見合う選択肢じゃないという人間は、何のための大学だったのかを問いたい。
大卒の資格が欲しいだけか?
卒業した後にやりたい事は学生時代に出来た事ではないか?
受験勉強から始まった6年を越える年月は何だったんだ。
「ない」「ない」の言葉だけで完結せずに詳しく書ける人員はいないのだろうか…。

一連の主張を読んでいると毎日毎日就活、企業回りをしているような錯覚に陥るな。
一般大衆が見たらカルトを連想するフレーズを盛り込んで
今の就活というシステムを敵として適正であると
印象付けようとするやり方はさすがだと思った。
ただ、括弧が多すぎる。
全ては個人の『自由』
筆者が疑問を持っている『シューカツの掟』と言うものは、必ずしも「強制」されていることではない。

必ずしもスーツ着用が義務になってるわけではない。セミナーなどに参加する就活生の殆どがスーツでいるのは一種の強迫観念によるものだろう。

もし『マニュアル』を厳守しない事を咎めるのであれば、そんな所に行かなければ良いだけの話だ。
採用する側に選ぶ権限があるように、就活をする側にも受ける場所を選ぶ権利はある。


やるかやらないかは当人の自由である。
やらないからと言って決して内定が取れないかといったらそんなことはない。

マニュアル本なんかかったことないし


フリーターを負け組と呼ぶのは失礼かと
一番の負け組はどこに所属してようとも、目標のないひとのことでしょう
就職市場がクソなら、労働環境は更にクソだからなこの国…
ぶっ壊すのはまず入り口からってか?
なら思いっきりやってくれ。
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仕事が無い無い言ってるのは何なの?
自分のやりたい仕事が無いだけの人間多いだろ。
全部取は言わないが、人手不足の職種だってある。
社会が悪いとか何とか言うのも結構だが、目の前にある現実の中で自分の望まない仕事だって就職の対象に考えないでどうするの?
稼いで飯食わなくちゃ生きて行けないぞ。
不平不満は誰にでもどんな時でもある。

・就活始まるのはやすぎ
・今の就活は無法地帯
・就活にルール整備を
・内定とれないのは全部が学生の責任なのか
・いまは6割の学生しか就職できない
・9割就職できてた時代とは違う
・就活は学生だけの問題じゃない、社会全体の問題だ
・新卒一括採用で即戦力を求めるのは矛盾している
・就活生の不安につけこむ就活ビジネスいい加減にしろ
・不安を煽る広告、リクルートスーツ、果ては精神性にまで。就活には「押し付け」が多すぎる
・就活に金かかりすぎ
・学費と就活代、払えません
・大学生を採用したがるくせに平日の昼間に説明会や面接をして大学に行かせないのはおかしい
・就活で卒論が書けない
・在学中は学業に専念したい
・20歳そこらで今後のすべてが決まるのはおかしい
・卒業後にも就活できるようになってほしい
・就活で忙しくてバイトができない
・収入ゼロでどんどん出費
・今の画一的採用スタイルでは企業にも損失がある
・短期間に大量の学生を見て実務能力やマッチングが判断できるのか

こんなケチ付けるだけで、何が必要なのか提示していないような文句は意味不明。
ちゃんと要求・希望を述べなくて何の為のデモなのか?
賛否以前に要求・希望を明確にするべき。

そういう物を明確に出せないデモであれば時期尚早。
練ってからデモをするべき。

※あなた方が、仮にも社会的な活動をするつもりが本当にあるのであれば、自分たち以外の世代などにも理解が得られる行動や形式をある程度考慮に入れられることをおすすめします。
  あなた方の活動を社会的な活動であると認識しているのであれば、個々の個性や破天荒さはマイナスイメージになります。
  何よりも社会に対して印象を強く打ち出すのであれば、統一された整然とした行動と問題点と要求を明確にしたスローガンが必要です。
  見る側は、雑多なモノであるほど聞く耳を持たず、あなた方の行動や要求を散漫な物と感じ軽んじるからです。
  行動を起こすことは、何よりも大切な切っ掛けですが、その切っ掛けを社会に対してより強く印象づけるために何が必要で何をしなければならないかをもっと詰めてより印象強い物はどんな物かを第三者的に考えて行動を起こすことをおすすめします。

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ただの勢いやファッションでデモを起こすのは、その主旨や要求が結果薄っぺらに見えます。
このブログのテンプレートもマンガの吹き出しのようなモノではなくスタンダードなテンプレートにされる事をおすすめします。

特徴的であることは、行動で示すべきことであり、看板となるこのブログは、『至って真面目な希望と要求』を多くの人に感じさせるべきだと思います。
本気であなた方が、『これからの自分の生活をかけて社会と闘う意志があるなら』です。

あなた方の目的が、就職に際しての諸問題であるなら、アンケートで集めたような沢山の個々の意見を並べるのではなく、要点を捉えた問題の提起とそれに対しての改善されるべき内容と方法、仕組みの明確な提示を集約し、目的とする主旨をより明確にするべきです。
今の状態では、『群衆の意見の一致を見ずに文句を口々に喚いている』様に見えるからです。

日程を11/23と決定していますが、一回だけの活動で達成できる内容とお考えでしょうか?
社会活動は継続性が無ければ一過性と思われその一回を凌げばいいと相手に悟らせます。
つまり、一日我慢すればいいと相手に感じさせ大した問題とは扱われません。
その後の計画も考え、それを掲示する必要があります。

大変失礼な言い方に聞こえたら大変申し訳ありませんが、社会活動やその歴史や経緯に関して勉強をされている方を相談役に置かれることをおすすめします。
私自身は、その様な勉強もしていない人間ですが、あなた方の現在表に出ている内容・発言(ブログ上の)を見る限り、その様な人間がそばにいないと感じました。
また、内容についても私自身が学校や自分自身で読んで知った知識から見ても何かブームの様なファッション的な一過性のアピールだけが目立ち、非常に軽薄に映る部分が多く感じられます。

苦言ではありますが、一過性ではない『これからの自分の生活をかけて社会と闘う意志があるなら』、冷静に今後を見据えた活動になるように考えてはいかがでしょうか。

長文、失礼致しました。
上のコメは『2011就活デモin京都』からの転載です。
上のコメは『2011就活デモin京都』からの転載です。
就活中に感じた疑問
就活において日本の社会は、こんなに新卒と急がせて、何かに煽られるように学生を篩にかけて、いったい何に怯えているの?経済の低迷?先進国で無くなること?敗戦国の汚名返上ができなくなること?社会は、いったい何を目指してるの?
怒りと不安でみんな辛いんだね。
ここに集う方達はきっと幼い頃から生き馬の目を抜くような受験戦争に打ち勝ち、ご両親の援助やご自分の努力の結果、大学現役合格を手に入れここまで頑張ってこられたのに、就活というシステムの前で挫折を味わい、理由・主張は各々違えどそれぞれにデモをせざるを得ない程の怒りや不安を抱えていらっしゃるんですね…。
私のこどもたちも毎日のように有り余るエネルギーを母親である私にぶつけたりきょうだい同士、ともだち同士で良くも悪くも発散させています。
時にはそれが自分の思い通りにならないことへの怒りであったりします。
そんなとき気付いて受け止めるのはやはり周りの大人たちです。遊びでもけんかでもどんなことであれ、こどもたちは常に全力で目の前のことに取り組んで生きています。でも、家族やおともだち、社会の中では通らないことだらけです。しかし社会で生きる人間になってもらうには発散させつつそれを教育するほかありません。
以前コメした時はもっと主張を明確にしたほうがいいのでは?という主旨で書き込ませていただいたのですが、このデモは大義よりも若者のたまったストレスに世間が気付く為の機会になればいいのではないかと思うようになりました。
『まとまった主張はないがみんな就活を中心に疑問や怒りを感じているんだ!就活再考のきっかけになればい』
そんなデモも自由かもしれません。そこに強くこだわった理由付けはかえって個々への尊重を侵害することになる。そのようにも感じます。
これは現代社会を生きる我々大人にとっての危険信号、若者たちからの悲痛なサインなのではないでしょうか?いつの時代も若者は爆発しそうなエネルギーを持て余しているものです。それが中学時代なのか高校時代なのか大学時代なのか。それすら過ぎてこどものまま大人になってしまう不幸な人もいます。
感情的に批判するのは容易ですがこのような(一般的な社会人から見て)稚拙な主張や中途半端な企画で若者が集まり、デモが開催されてしまう現実を直視して受け止め、きちんと向かい合うべきだと思います。
しかし!デモの主催者や企画者だけは別です。まず代表責任者はデモを起こすことの社会的責任や一般市民の損失(具体的に書かなくても分かりますよね?)をきちんとふまえているのならば、こういう公の発言自由な場所では節度ある発言をし賛同者や同世代で同じ立場にいる人たちにはもう少し配慮すべきです。自由や権利の行使には責任がつきものです。代表者たちに覚悟がないとデモ全体がぼやけてしまうでしょう。さらにデモというのはやはり集団で行うのですから、どうしてもギャラリーには個々ではなく塊として見られてしまうという面もあります。その上で個々の想いをどれだけ表現できるのか工夫した方がいいかもしれませんね。リーダーシップをとるせっかくの機会ですから応援も批判も全てをいい経験にしてこれからの人生の肥やしにしていけるんではないでしょうか。
以前同様長文コメで失礼致しました。
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デモをするのなら、そのついでに杉村太郎氏の『お墓参り』もしてあげましょう。

意味は解りますよね?
卑屈すぎる
まず就活を儀式に喩えるという真似はやめてもらえませんかね。ただの印象操作でしかない。気持ちの悪い。
私はこの手の印象操作が大嫌いです。こういうのはもうマスコミだけで十分です。

>この儀式の参加者は、多くの準備を行わなくてはならない。
>まず、「マニュアル本」と呼ばれる経典を手に入れて、儀式の際に必要となる口上や動作を覚える必要がある。
確かにマニュアル本の売り出し方に対する問題点はありますが、口上動作を覚えるのは当然のことでしょう。
あなた方は礼儀作法も覚えずに社会に出るおつもりですか?
仮令それが本質的ではなく形式的な事柄であったとしても世の中そういったことが必要な場面は少なからず存在します。

>さらに、自分の経歴や性格などを書き出し、それらを経典に記されている「求められる人間像」と比較して自己批判し、
>自己を改革しようとする「自己分析」も、並行して行われることが多い。
企業が学生の人間像を見ずに学生を雇う訳がありません。
学生は如何に自分がその企業にとって有益となる人物であるかをアピールする必要がある、当然のことです。
それにあたって自己改革が必要なのであれば、それは単にその人がその会社の求める人材ではないということに過ぎません。

>一部の「意識が高い」と称される人々は、「セミナー」や「インターンシップ」という儀式の事前練習に参加することもある。
目的としている企業と無関係な「セミナー」やら「インターンシップ」に行く必要はありません。
あなたのご指摘どおり事前練習として参加する人も多数いるでしょうが、
それは学生側の問題であり「セミナー」に参加したから就職が有利になるというものではありません。
「インターンシップ」に関しましては志望企業が主催している場合は有利になることも多々ありますが
志望度の高さを見るという点において当たり前のことではありませんか?

>最初に、儀式への参加者は「エントリーシート」というものを書かなくてはならない。
>これは、参加者が自らの経歴や経験を誇張や美化して書くものである。
誇張や美化をする必要は一切ありません。
それは自らの経歴や経験に自信のない人間が嘘をついているだけでしょう?
これはむしろ企業側にとっては「嘘つき」を見抜かなければならない迷惑極まりない行為だと思いますが如何でしょうか。

>「説明会」では、「スーツ」という動きづらい儀礼用の衣服を着用しなくてはならない。
社会において少なからず形式は必要です。あなたは葬式に私服で行きますか?
スーツが嫌いという理由で企業を選ぶのであれば私服許可の企業を選べばよいと思います。
スーツが高いという金銭的問題に言及するのであれば分からなくもないですが
あなたは単にスーツが嫌だといっているようにしか見えません。

>「説明会」では、主宰者の話に熱心に聞き入っているフリが求められる。
>さらに、質問を求められた際には積極的に手を挙げて、周囲の人間に頭が良いと思われるような発言をしなくてはならない。
そのような必要は一切ありません。
あなたがその企業に勤めたいと思っていれば熱心に話を聞くでしょうし、疑問があれば質問をするでしょう。
それをしないということは、単にあなたがその企業にさほど興味がなく、疑問も特にないというだけです。
そしてそのような人材を企業は欲しがりません。

>「エントリーシート」が神意に沿うものと認められると、ついに儀式の主宰者と対話することが許される。
気持ち悪い比喩がありますが、当然です。企業にも選ぶ権利があります。

>この対話の形式には、様々なものが認められる。いくつか例を挙げると、参加者一人に対して複数人の主宰者が応対し、
>主宰者は参加者に厳しい態度で臨み、意地の悪い発言を繰り返し、揚げ足を取るなどして参加者のストレス耐性を見る「圧迫面接」、
圧迫面接に関しては私も問題がある、というよりも個人的に嫌いではありますが問題点の指摘の仕方がおかしいかと。

>複数人の参加者がグループを組み、表面上は参加者同士で友好関係を築いていると見せかけながら、
>相手の参加者を蹴落とさなくてはならない「グループ・ディスカッション」などがある。
「見せかけながら」「蹴落とさなくてはならない」という表現に悪意を感じますね。
友好関係を気づいていると見せかけているだけの人もいれば、普通に友好関係を築いている人もいます。
企業側もコミュニケーション能力が高い人材が欲しいのは当然のことです。企業は後者を欲しがるでしょう。
全員を雇うことはできません。
あなたは企業説明会などで知り合った友達を蹴落とそうだとか偽りの友好関係だとかそのように考えてらっしゃるのでしょうか?
私が企業側の人間でしたらそのような人間には来て欲しくはないです。

>「就活」は今日、絶対的なものとして立ち現れている。「就活」をしても「勝ち組」になれる、すなわち「正社員」になれるとは限らないが、
>「就活」をしなければ「フリーター」、すなわち「負け組」確定であると。
フリーターに失礼極まりないと思いますが。あなたはこういう言葉をご存知ですか?
「努力をしても報われるとは限らないが努力をしなければ決して報われない」

>勝ち組・負け組の二元論に収斂される。そして、「就活」はこの二元論を残酷なまでに体現している。
勝手に二元化しているのはあなたです。
>この問題の原因の一つは、明らかに「就活」にある。「就活」において学生は「勝ち組」になることを求められた結果、
求められていません。単にあなたが「勝ち組」になりたがっているだけです。
企業が求めているのはあくまで人材でありその過程が就活であるにすぎません。

>「勝ち組」となった学生は「負け組」を嗤い、「負け組」となった学生は諦めることを強いられる。
「勝ち組」が「負け組」を嗤うというのは単なる嫉妬です。
勿論そのように他人を見下すような人間がいるのは事実ですが、それを一般的な出来事であるかのように扱わないで下さい。

>幸いにして、デモはこの国では「異質なもの」と見られる傾向がある。上等。
正直異質なのはデモではなく、あなた方の自己中心的主張と論理性の破綻、文章能力の低さ、客観性の欠落だと思います。

>挑発的な名称が功を奏したか、Twitterをはじめとするインターネット上で見る限り、既にある程度の規模の議論が発生している。
議論というよりも奇異なものとして注目されているだけだと思います。
就活に関する議論は以前から行われていましたし、単にそれがこの機に注目されるようになっただけでしょう。
もっとも、その点においては全く無意味なものではないとは思いますが。



全体を通して思うことがあるのですが、あなたがたはあまりにも自分本位であり、選ぶ側の企業の立場というものを
何も考えていないのではありませんか?
そのせいか説得力というものをまったくもって欠いているように見えます。
あなたが、あなたが言う「勝ち組」なのか「負け組」なのか存じませんがあなたの記事はあまりにも卑屈です。

私は「セミナー」にも「インターンシップ」にも行きませんでした。
流石にマニュアル本は少しは読みましたが、これといった自己改革もしていませんしESには嘘偽りなく事実を書きました。
自分の志望する企業の説明会には当然積極的に参加しましたし、質問したいことはわざわざ考えるまでもなく浮かんできます。
私にとって志望企業の説明会は非常に楽しいものでしたし、そこで知り合った友人を蹴落とそうなどという考えは浮かびませんでした。

あなたは、あたかも「セミナー」や「インターンシップ」が就職における重要事項であり
自己改革やESに色をつけることは必須の条件で、説明会では質問が企業から求められている、
というように主張してらっしゃるように見えますが如何でしょうか。
「就活のせいで論文書く暇がない!!」だって?良く言うよ。
文系は内定とったってどうせ卒論もほとんど書かず、遊び呆けるだけなんだろうさ。

現に文系の知人がそうだったよ。内定とったとはほとんど学校に行かず、サークル仲間とほぼ毎日夜遅くまで遊びまわって、翌日の昼12時まで寝て過ごす毎日。そんな生活が後期の中盤まで続いたんだから、呆れたもんだ。

で、いざ入社したら、人間関係の悩みで一年も経たずにやめちまった。今じゃ音信不通さ。

日本の学生、特に文系は『内定』を崇拝しすぎなんだよ。まさか内定を『最後の一年間思う存分遊ぶための権利』か何かだと勘違いしてるんじゃないのかね。
デモやってライバル減らしてくれるんでしょ?
どんどん人集めて大規模にやってよ。

こういうバカが多いとむしろ就職しやすそうでラッキーだわ
ニート確定ワロタwwwwwwwwwww
※3さんへ
ご返答ありがとうございます。

私も伝わりづらいコメントをしたことを反省しております。

>記事本文をもう一度よく読んでみてください。
記事はよく読み、言いたいことを加味しております。この運動を初期から見てきているのですから、その上で反論しているのですから。
あなたは、私の動画を上げた意味を良く考えて下さい。言葉尻だけを捉えるのは思考停止です。

>筆者はまさに「就活エリート=成功者」ではないにも関わらず、
>勝ち組・負け組という二元論的価値観を生む心理的要因となっている、

「就活エリートが必ずしも成功者、勝ち組ではい」のなら
社会的勝ち組、社会的負け組を気にする必要がありますか?
ましてや就活をぶっ壊す意味がどこに?
自分が就活できないことの腹いせにしか見えない。
自分が負け組になりたくないだけにしか見えない。

>「就活」という社会構造を「ぶっこわせ」と書いているのだと思います

動画の意味としては、ひろゆき氏の言っているように就活を通じて「金を稼ぐ」「自分のやりたいことをやる」ということを達成している人間がいる以上ぶっ壊す必要なんてないんです。(少数だから気にする必要無いとかいう反論は無しですよ。それを言ったら現代のマスゴミと一緒です)
就活は一つの手段であり、社会に出る上での絶対の手段という社会常識を気にする必要なんて無いですし、もう社会常識ですらなくなりつつあります。社会そのものに大きな歪ができはじめているのですから。
(宮台真司氏の「就活言論」をお読みください)

私の意見は、この活動が、「ぶっ壊す」という表現を使っており就活そのものの批判をしているくせに、主催者側は就活をする、と言っている思想の無さに対して腹が立って批判しているのです。

乱文となりました。
反論できるところはたくさんあると思いますが、私の意見は多分あなた程度じゃ変えられない。
文末に(キリッ)と付けて読むと笑えるな。
質問
このデモでを行った結果、何も解決に繋がらなかった場合はどうなるのでしょうか?
あなたはデモの成果が出るまで続けますか?
もしあなたが内定を取りデモ団体を抜ければ、置いていかれた方はどうするつもりですか?
他の方にも影響が出ると思われますがそこについては何か考えはおありでしょうか?
そこら辺の覚悟が知りたいです、ご回答の程よろしくお願いいたします。
いやあ何に繋がらなくてもやめるでしょう。
「次の世代にバトンを渡す事にします。認知を広められただけでも良かった」
とか言ってさ。
 
就活に不満があるのはわかったから.
つか就活やった・やってる・これからやる人間で現状に全く不満がないやつないなんてほぼいないと思うよ.
就活デモはむしろやってくれ.

何度も言ってるしここのコメ欄でも皆言ってるけど,批判したいのはデモをすること自体じゃない.
中身がすっからかんな状態で「就活生」や「若者」をまるで代弁するかのごとくデモをするのをやめろといってるだけ.
不満はわかったから具体的にどうして欲しいのかという要求くらい掲げてみせろよ.
それに何に対して要求したいのかもよくわからない?
社会?経団連?企業?大学?
どれだよ.

デモだろうが,研究だろうが,実験だろうが,レポートだろうが,何事も目的が大事だろうが.
細かいことはともかくとして,どういう問題があるからそれをどう改善したいかを明文化できないとか問題外.
つか「就活に時間がかけられないくらい勉強に時間割いてる」んだろ?
なんでそんなこともできないの?

オレは第一志望に内定取れたけど,研究・授業・就活は全部頑張ってやれたけどね.
ゼミとかもほとんど休んでないし.
一度どういう生活してるか一週間の行動を表にまとめたの見せてみろ

文章もこまっじゃくれてムダに長いだけで説得力ない.
本当に大学で勉強に明け暮れてる人間ならこんな文章力のわけがないと思うんだけどねー
学術的に
人類学社として言わせていただきますが、これは「民族誌ethnography」ではありません。
既に充分に広い視野を持った上で、就活を相対化して捉えていると自負していらっしゃるように思われますが、実のところ、これらの語り口はちょっとだけ斜に構えた態度さえ有していれば、容易に書けるものだと言うことも事実です。
僕としては、就活を拒否して積極的に大学院に進学した身であり、就活に対する疑問も共有しているだろうと思います。そういった立場から申し上げるならば、世に出回っている「就活」関連の社会学・人類学の著作や論文をいくらか収拾してみたり、(貴殿の仰るところの)「マニュアル本」の具体例をあげながら、そこにある記述の構造的分析を行ってみるなどしてみてはいかがでしょうか。
これらのことを進言いたします意図は、どうにも貴殿らには政治的主張を構成する能力が今一つ欠けているように見受けられる、という一点に尽きます。そのことはつまり、社会的個人として活動するにはいくらか不十分な知的素養しか身につけておられない、ということを意味しています。言い換えるならば、どこかで聞いたことのある語り口は巧みに利用することはできても、自分で考えてはいないように見えてしまうのです。
むろん、僕もただ単にそのような心ない批判をしたい訳ではなく、共有している「違和感」を「感」のままで扱おうという態度から、考察や判断、さらには自らの政治的主張に至るまで、多くの責任を他者に丸投げしているように見えてしまうことが残念でならないからこそコメントしているのです。せっかくそこに共有できる感覚が存在するのですから、どのような問題構造が存在するのかを徹底的に分析し、就活現象の可能な解釈を(統一したくないのならば複数個)用意し、それにしたがった解決策を複数用意することによって、他の誰かに解決を丸投げする、という態度を改め、積極的に社会を動かそうと試みてはいかがでしょうか。

最後に、この文章の冒頭に立ち返って、学術的事柄を述べさせていただきますと、「儀礼」として切り取るためには、ファン・ヘネップ流に言えば「分離・境界・再統合」のプロセスを経なければならず、ヴィクター・ターナー流に言えば「リミナリティ・境界性」の二つを有していなければなりません。前者の定義によれば、境界・再統合=内定・内定式、という解釈は可能でしょうが、分離儀礼が存在しないので、儀礼とは言い難いものです。後者の定義にしたがっても、境界性が、特に儀礼の開始の点で明確ではありませんので、儀礼とは言い難くなります。
このように、学術的にみれば、貴殿の文章には安易な決め付けが非常に多く、いわば形式化と本質化、ステレオタイプの記述に留まっている、という性質が露骨に表れております。儀礼論を利用することによって、「違和感」は強調されるでしょうが(というのも、本来的に「儀礼」という言葉は「未開人の訳のわからない行為」を指す言葉だったわけですから)、厳密な意味で用いない限り、単なる「悪意を持った記述」に堕してしまうことも事実なのです。
僕はブルデュー主義者を自認しておりますので、僕ならば、一種のゲーム空間として、就活という現象を描くことでしょう。しかし、その記述はここで行うべきではないでしょうから、自身のブログにでもそのうち書くことにいたします。

大変長いコメントになってしまい、大変申し訳ありません。
僕自身もそうできた人間ではありませんので、この程度のことしか述べることはできませんが、少しでも参考にしていただき、「デモ」という行為を行うのに必要な、社会的・政治的自律精神について、一考していただけると幸いです。
個人の人間性とアイデアの正当性の非関連性
ブロガーに対する個人攻撃は無意味です。

ブロガーがどのような努力を今までしてきたか、どのような能力を持っているかは、彼の考えの正当性に全く関連性がありません。彼の考えに意義があれば、彼の人間性を偏見するのではなく、その非論理性を指摘すべきです。

同様に個人を軽蔑するコメントも議論に何も貢献しません。恥ずかしいといったコメントは感情論であり、何も生産的結果を生み出しません。他者を低くみなすことで優越感を得る思考パターンに、ブロガーの指摘した日本文化特有の勝ち組・負け組み二元論思考パターンが無意識に反映されています。



私はブロガーのデモに賛同です。デモを通じて就活と及び日本文化特有の階層的社会(反平等社会)の問題性を提起できるのであれば、それだけで行動の価値があります。
ただ既に他の方が仰った通り、何をデモを通じて何を伝えたいかを詰めることによりデモを更に有意義なものに出来るかと思います。

私が日本に滞在している間に後続のデモがあれば、デモに参加したいと思います。応援しています。



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プロフィール

「就活ぶっこわせデモ」実行委員会 (就活デモ@東京)

Author:「就活ぶっこわせデモ」実行委員会 (就活デモ@東京)
 こちらは2011年「就活ぶっこわせデモ」のブログです。私たちは2011年11月23日(水・祝)、勤労感謝の日に「就活ぶっこわせデモ」を実施致しました。当日はたくさんの方々にご参加頂き誠にありがとうございました。実行委員一同より厚く御礼申し上げます。
 このデモを通じてより多くの方々に就活を巡る問題について考え議論する機会、あるいは就活に疑問を持つ方々が改めて自分の意見を主張する場を提供できたのであれば、それだけでもこのデモを行った価値はあったものと私たち実行委員は考えております。

 さて、2011年市井の皆様を度々お騒がせしてきた「就活ぶっこわせデモ」ですが、2012年1月18日の対談イベントを最後の活動とし、我々就活ぶっこわせデモ実行委員はひとまず解散致します。ご協力下さった関係者各位の皆様方には、この場を借りて厚くお礼申しあげます。本当にありがとうございました。
 今後就活問題に関する活動は「就活生組合」がその任を担っていく予定でございます。よって今後の活動ついてのご質問、及び取材依頼等のお問い合わせは、「就活生組合」方にお願い致します。


就活生組合

http://www.shukatsu-union.org/

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