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檄文(すずきおるず)

 就活ぶっこわせデモに関するツイートやこのブログに寄せられたコメントを見ていて、気になる点が一つある。
 「雇うのは企業なのだから、雇われる側は企業に従うのが当然」というような意見が、複数見受けられることだ。

 少し、経済学の話をしたい。
 労働価値説という学説がある。読んで字のごとく、労働が価値を生み出す、商品の価格はその商品に投下された労働量によって決まるという説だ。あるいは、商品の価値を決めるのはその商品の作り手だとする考え方とも言える。アダム・スミスやリカードやマルクスなどのいわゆる古典派経済学者が奉じたこの説ではしかし、説明できない事象が多すぎた。例えば、労働価値説によれば賃金の増減は物価に影響を及ぼさない。商品に投下された労働量は変わらないからだ。しかし、実際には賃金の増加は物価の上昇を招く(インフレ)し、賃金の減少は物価の下落を招く(デフレ)。労働価値説ではこういったことを説明できなかった。
 これに代わって、近代経済学と呼ばれる学派が主流になった。近代経済学では、労働はもはや価値を生み出さない。商品の価格は、消費者がその商品から得られる効用によって決定される。労働価値説が「商品の価値はその作り手が決める」という説であれば、近代経済学は「商品の価値はその買い手が決める」という考えだとまとめられるだろう。近代経済学は、労働価値説では説明できなかったことの多くを説明できた。その結果、現在に至るまで経済学の主流はいわゆる近代経済学が占めている。
 さて、読者の皆様は、労働価値説と近代経済学のどちらに共感されるだろうか。商品の価値を決めるのは、その作り手か、その買い手か、どちらだろうか。

 就活において、人間は商品になる。
 就活に臨む学生たちは、いかに企業に採用してもらえるかを考える。企業の望む人材になれるように勉強をし経験を積み、企業に気に入られるようにメイクし服装を整え、企業でやっていけるように協調性やチームワークを磨く。企業という買い手の効用がより大きくなるように、自分という商品を作り上げていく。ここにおいては、買い手の論理、近代経済学的な論理が貫徹している。
 別に、人間が商品となることを一概に批判するつもりはない。労働に対価が与えられる以上、労働は商品という一面を持つ。このこと自体には良いも悪いもない。また、いわゆる要領の良い学生は、就活や労働においては人間は商品だと割り切って行動し、それ以外の趣味などの分野で自己を充足させるだろう。私の父がこの考え方に近い。あるいは、労働において商品として生きることに自己を見いだす人もいるだろう。例えば、高度経済成長期のモーレツ社員などはここに分類できる。こういった、現行制度の下で幸せに生きることのできる人々を批判するつもりは毛頭ない。幸せであれば、それがなによりだ。
 しかし、現行制度の下で息苦しさを感じる人間も、一方でいる。就活や労働においては人間は商品だと割り切ろうとしても、どうしても割り切ることのできない人間はいる。あるいは、割り切ったとしても労働に追われて余暇が無く、自分を充足させることのできない人間はいる。買い手が商品の価値を決めてしまうことに、抵抗を覚える人間はいる。
 そういった人間は、どうすればよいのだ。

 先に、労働価値説と近代経済学の話をした。
 現代において、近代経済学的な考え方、すなわち商品の価値は買い手が決めるという考え方は、経済学の範囲を超えて、広く世間一般に流通している。冒頭に挙げた「雇われる側は雇う側に従うのが当然」という発想も、極めて近代経済学的だ。
 さて、近代経済学と労働価値説、どちらが正しいのだろうか。
 結論から言えば、どちらも正しくないのだろう。もちろん、近代経済学の方がより多くの事象を説明できるという事実はある。しかし、このことは近代経済学こそが絶対の真理であり、従うべき規範であるということを意味しない。
 学問は、現実をより上手く描き出し、より納得の行く説明をするために存在する。まず現実があり、その上に学問が存在するのだ。現実が学問に従うわけでは、決して無い。

 商品であること、商品と見られることに、抵抗を覚える人々よ。
 「商品の価値は買い手が決める」というのは、単に学問上の見解であって、絶対的な規範ではない。
 それに代わる何かを、現実において創り出していくことは、可能だ。

すずきおるず
@suzukiorz on Twitter
Comment
またポエムだね。

経済学無関係だし。本質は
「しかし、現行制度の下で息苦しさを感じる人間も、一方でいる。
(中略)
 そういった人間は、どうすればよいのだ。」だけ。

結局、趣旨は
「自尊心が強すぎてやりたい仕事を選びまくった結果内定が貰えません。どうしたら良いですか?」
じゃないか。
太古の昔から、衣食住を分担して手に入れるために、大半の人間が忍耐しつつ価値を生んできたんだよ。労働なんだから息苦しさを感じて当たり前だろ。どこまで子供なんだよ。甘えすぎ。

さらに長文、文学的表現、経済学、など、素人を煙に巻こうとするから余計に誠実さが失われていく。

社会で必要とされる能力レベルに対して、個人の能力が低くて雇用されないという本質的問題を棚に上げて、企業や国家、教育機関に責任転嫁しようとしている、これが君たちがやろうとしていること。
真に問題解決しようとするならば「社会に役立ち、あらゆる企業に必要とされる人材になろう!目を覚ませ大学生」というデモならすばらしいことなんだよ。批判どころか応援だらけになるだろう。
ところが君たちがやっているのは全く逆。
自分の能力向上を無視して、「自分は役立たないけれど、息苦しくないように雇用してほしい」なんて有り得ない我が侭を抜かしている。

その点については実行委員は誰も本当に気付いていないの?
法政とか東洋とか見下しているくせにwww
悩むにしろ悩まないにしろ、気がついたら4年の秋で大手ないし一流企業の新卒者向けの採用活動が終わっていたって人は、これまでも早稲田にもたくさんいると思うよ。その時、先輩達はどうしたかというと、まだ採用活動をやっている中小零細企業に職を求めたり、あるいはアルバイトで当面生きていこうとしたんじゃないかな。「就活ぶっこわせ」の人たちは、いろんなこと言っているけど、結局「一流企業の採用担当者さん。もう一度だけ早稲田大学の僕たちにチャンスを下さい」ってことを本当は言いたいんじゃないの?。あるいは、文学部の人とか本当ならマスコミ関係に就職して、自己顕示欲が満たせたはずなんだけど、就活で負けて、後はのたれ死ぬみたいな人生をおくるだけだから、あわよくばこのイベントで目立って、ゆくゆくは知識人wの仲間入りをしたいんでしょ。だけど母校の早稲田はアカポスの選考に人一倍厳しいから120%無理。地方の弱小短大でも活動歴のある人は門前払い。進路は八方ふさがり。さぁどうする?
先にも意見が出ていましたが、
団体としての主張やデモの活動概要と、このような個人の日記のような文章は分けてはいかがでしょうか?
乱暴に言えば「一人一人の主張」カテゴリの記事は丸々移動してしまっても良い気がします。
(それも最近は「主張」や呼びかけですらない、ただの自論の垂れ流しになっているように感じられます)

記事をカテゴリ分けしているよ、と言われればそうなのですが、
このデモに興味を持って、ここにたどり着いた人々が最初に目にするのは、
実行委員の会談の告知と、個人ブログのような長文の羅列という、恐るべき状況になっています。

内輪の騒ぎでなく、本気でやるのであれば、見ている人のことまで考えてもう少しやり方を考えるべきではないでしょうか。
何よりも、「理解されない活動」になるのが一番悲しいと思います。
だから何?
希望の業種・職種以外の仕事に生きがいを見出すとか無理です!
お金を稼ぐ為のミッションと割り切るのも無理です!
この世にはそういう人がいるんです!
大体、そういう今主流の仕事に対する考えってあくまで学問の一説であって決して正解じゃないんです!
正解じゃないから主流の考えってのは変える事はできるんです!

ほら、5行でまとめてやったよ。
一つ質問を
あなたは「いかに企業に採用してもらえるか」を考えたうえで偏差値の高い有名な大学を選んで進学したタイプの人間ではないということですか?
商品の価値を決めるのは売り手であって
買うか決めるのは買い手だ。
それが合致すれば取引成立になる。
そうじゃなければ流れる。ただそれだけ。
一度他のデモ実行ブログやwikiを見て回ることをオススメします。

就活や面接でだらだらだらだら語ったらそりゃ落とされますさ。
このデモは毎年やっているのですか?

もし毎年恒例だから今年も!という気持ちで開催するならやらないで下さい。

あなたたちは批判を『あげあしを取る』『拒否反応』とバカにしていますが、デモは公共の場でやるのです。新宿のどこで開催するのか分かりませんが公共(みんな)の場を貸しきって、やるならば批判にも真摯に答えるべきです。ダラダラと持論を述べて自己満足に浸らないで下さい。

前の記事で他団体のリンクを見ましたが、2010年の方は素晴らしかったですが、この実行委員の人達は本当に教養がありません。

価値は買い手が決めるものでもない、と言いましたが


それは筋が通らないような気がします。

買い手の気持ちは誰が動かすんですか?

いい商品を作った
説明を上手にした


それで買うのは分かりますが

買うという最終『判断』は誰がするのでしょうか?
買い手自身ですよね?

俺が買わせてやった!

という気持ちは単なるこのデモ同様『供給側の自己満足』です。

多分私の意見を聞いても
『だけど、、、いや、、』『間違っていると言っている訳ではない』

と思うと思います。

批判的な意見に対してもですが、何故、この人と意見が違うのか、この人の意見はどういう事なのかしっかり考えて下さい。


商品であること、商品と見られることに、抵抗を覚える人だった時期もありました。
でも言ってる意味がさっぱりわかりません☆
コメントで短くまとめてくれる人の方がわかりやすいです!
私も学生時代
各種経済学を学びました。
これは今、社会に出た私の礎です。
…が、これは基礎に過ぎません。
稚拙です。
文章の内容の是非は知らんが(つか途中で読むのやめた)、
・冗長
・無駄に複雑
・変に衒学的
で文章レベルがあれ

いっちゃなんだかそりゃESやら面接やら落ちるわ
いかにコンパクトにかつ必要十分に自分のことを伝えんのかが問われるんだから
就活に限らず学問でも重要な技能だと思うけどね
まぁそれすら「買い手の横暴だ!」とかいっちゃうんだろうけど
まぁ就活したのか知らんけど

何かを書き散らすんではなく人に伝えると言うことを覚えましょう
おおめに
見てあげてもいいのでは?
社会に適応できない人間が、必死で言い訳をして、安いプライドを守ろうとしているのに。
本質をズバズバ言い当てることないでしょうっ!
経済学って皆の幸せを考える学問でしょ?
そう言えばいいのに。

そして、経済学はいつになったら人を幸せにできるの?
経済学なんて机上の空論だって大体の人間は気が付いてるよ。
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プロフィール

「就活ぶっこわせデモ」実行委員会 (就活デモ@東京)

Author:「就活ぶっこわせデモ」実行委員会 (就活デモ@東京)
 こちらは2011年「就活ぶっこわせデモ」のブログです。私たちは2011年11月23日(水・祝)、勤労感謝の日に「就活ぶっこわせデモ」を実施致しました。当日はたくさんの方々にご参加頂き誠にありがとうございました。実行委員一同より厚く御礼申し上げます。
 このデモを通じてより多くの方々に就活を巡る問題について考え議論する機会、あるいは就活に疑問を持つ方々が改めて自分の意見を主張する場を提供できたのであれば、それだけでもこのデモを行った価値はあったものと私たち実行委員は考えております。

 さて、2011年市井の皆様を度々お騒がせしてきた「就活ぶっこわせデモ」ですが、2012年1月18日の対談イベントを最後の活動とし、我々就活ぶっこわせデモ実行委員はひとまず解散致します。ご協力下さった関係者各位の皆様方には、この場を借りて厚くお礼申しあげます。本当にありがとうございました。
 今後就活問題に関する活動は「就活生組合」がその任を担っていく予定でございます。よって今後の活動ついてのご質問、及び取材依頼等のお問い合わせは、「就活生組合」方にお願い致します。


就活生組合

http://www.shukatsu-union.org/

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